花さかりに京を見やりてよめる そせい法し
みわたせはやなきさくらをこきませてみやこそはるのにしきなりける (56)
見渡せば柳桜をこきませて宮こぞ春の錦なりける
みやる:遠くを望み見る。ながめる。
こきまぜて:違った色の花や紅葉などを摘み取り、綺麗に混ぜ並べて。
にしき:色彩豊かで、極めて美しいものをたとえて言う。
けり:今まで気が付かなかったり、見過ごしてきたりしたことに、はじめてはっと気づいた驚きや詠嘆の気持ちを表す。
「花の盛りに京を眺めて詠んだ 素性法師
見渡すと柳桜を綺麗に混ぜ並べて、都こそが春の錦だったのだ。」
桜の花の盛りに、都全体が眺め渡せる小高い丘にでも登ったのだろう。そこから見える景色を詠んだ。それは、柳の緑と桜のピンクが綺麗に混ぜ合わされて、なんとも美しい風景だった。そこでこう思う。これまで、秋の錦が紅葉だとはわかっていた。しかし、それに匹敵する春の錦が何なのかはわからなかった。しかし、今わかった。都は、柳の緑と桜のピンクがいい具合に取り合わされてまさに錦のように美しい。都全体こそが春の錦だったのだ。
詩とは、視点・発想の転換によって生まれる。これを異化と言う。見事な発想の転換である。
コメント
近すぎて見えないもの、あります。どうしても点で見がちな柳や桜の淡い色合いを、面で見ると言う発見。確かに絹織物を思わせます。詩人の目ですね。
素性法師の春の錦、美しいです。その一方で京の都の縦横に張られた糸も、その交差する点の数だけ様々な人間ドラマも織りなしているのだろうと、ふと考えてしまいました。
風景から人間ドラマへと想像の翼を広げていけるのも詩人の心ですね。