第四十五段  思い通りにならないあだ名

 公世の二位のせうとに、良覚僧正と聞えしは、極て腹あしき人なりけり。坊の傍に、大きなる榎の木のありければ、人、「榎の木の僧正」とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木をきられにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池の僧正」とぞ言ひける。

公世の二位:従二位侍従藤原公世。
せうと:男の兄弟。特に兄。
腹あしき:怒りっぽい。短気だ。
然るべからず:ふさわしくない。適当ではない。

「今世の二位の兄で、良覚僧正と申し上げた方は、極めて怒りっぽい人であった。僧坊の傍らに大きな榎の木があったので、人は、『榎の木の僧正』と言った。この名がふさわしくないと思って、その木を切ってしまった。その根があったので、『切り杭の僧正』と言った。ますます腹を立てて、切り株を掘り捨てたので、その跡が大きな堀になっていたところ、『堀り池の僧正』と言った。」

この段は、趣向を変えてユーモラスな話を書いている。読者を飽きさせない工夫であろう。あるいは、自分が多面的な人物であることを示そうとしたのか。
いずれにせよ、良覚僧正の人物像がよくわかるエピソードである。良覚僧正は、真面目で短気な人物で、何でも筋を通さずにはいられないのだろう。自分が気にくわないことは認められないのだ。しかし、思い通りにならないことはいくらでもある。たとえば、あだ名もそうだ。にもかかわらず、何とかしようと、躍起になる。しかし、これは本来腹を立てるべき事ではないのだ。あだ名というのは親しみの表れであって、良覚僧正は慕われていたのだ。その姿はかえって笑いを誘う。世人は、そんな僧正をからかっている。僧正のことを僧坊の傍らにあるもので呼ぶという姿勢は変えようとしない。

コメント

  1. すいわ より:

    貴公子の話の後、再び滑稽な話。読む側は確かに退屈せず読み続けられますね。
    あだ名をつける側はからかってはいても嫌がらせではなく、必ず反応して返してくれる僧正に、「次は何をするだろう」という期待すらしていそう。大注目ですね。癇癪を起こす僧正も怒って見せながらも打ち返すことをやめない辺り、案外このやりとりを心の底では楽しんでいるのかもしれません。

    • 山川 信一 より:

      確かにこのやり取りには、悪意が感じられませんね。どちらも案外楽しんでいたのかも知れませんね。
      たまにこういう癇癪持ちの善人がいますが、結構好かれていることが多いようです。

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