《山中の春》

題しらす よみ人しらす

をちこちのたつきもしらぬやまなかにおほつかなくもよふことりかな (29)

遠近のたづきも知らぬ山中におぼつかなくも呼子鳥かな

たづき:手段。手掛かり。見当。
おぼつかなく(し):様子がわからないので、気がかりだ。不安だ。
呼子鳥:鳥の名。カッコウとも、ホトトギスとも言われるが、不明。

「あっちへ行けばいいのか、こっちへ行けばいいのか、地理が不案内な山の中で、不安になって呼ぶ、呼子鳥だなあ。」

「百千鳥」からの繋がりで、この歌は「呼子鳥」を題材にしている。ただし、この鳥が具体的にどんな鳥かは分かない。季節的にカッコウやホトトギスは合わない。たぶん、春を感じさせる鳥なのだろう。山の中で道に迷っているのだから、「知らぬ」の主語は作者である。山は、春になって緑に溢れている。そのため道がわからなくなってしまったのだろう。すると、鳴いている鳥がいる。「呼ぶ」という名を持つ「呼子鳥」である。そこで、不安な思いから思わず「呼子鳥」を呼んでしまった。
春になり、山中をそぞろ歩きしたくなる。その時の経験を詠んでいる。

コメント

  1. すいわ より:

    春の気配に誘われて散策に出たものの、道を逸れてしまったものか迷ってしまう。「誰ぞ、おらぬか。」その声に応えるものはなく、辺りは静まりかえる。新緑の中、飲み込まれてしまいそうな静寂。耳を澄ましていると遠く近くに鳥の鳴き交わす声がまた響き始める。あぁ、呼子鳥。我も呼子鳥、誰か応えてくれるものはないものかなぁ、、こんな感じかと思いました。満ち満ちる春の中にただ一人置き去りになったような心細さを感じさせます。

    • 山川 信一 より:

      素敵な鑑賞です。春の中の孤独。そう考えると、前の歌とつながりますね。春はただただ喜びを感じる季節ではなさそうです。
      寂しくて誰かを呼んではみても、応えてくれない。自分も呼ぶだけの鳥、呼子鳥なのだと思っている。これも春愁の一つかも知れません。

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