歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる つらゆき
あをやきのいとよりかくるはるしもそみたれてはなのほころひにける (26)
青柳の糸縒りかくる春しもぞ乱れて花の綻びにける
青柳:春の芽吹きから新緑にかけての青々とした柳。
しも:強意の副助詞。
ほころび(ぶ):花が咲きかける。
に(ける):「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。始まりを表す。
「青柳が糸を縒り、手に掛けている。そんな春も春、乱れて花の蕾が咲き始めるのだなあ。」
また一歩春が進む。青柳の枝が伸びて、揺れている。桜の蕾も綻び始めた。その喜びを歌にすることで明らかにしたい。しかし、どう表現したらいいのか。それは容易ではない。そこで、「歌たてまつれとおほせられし」人は、貫之に命じて作らせる。この歌の出来に「おお、それだ。それだ。」と言う声が聞こえてきそうだ。
青柳は、春になったら桜のつぼみがほころぶだろうから、そのほころびを縫ってやろうと、糸を縒り、手に掛かけているようだ。そんな春に桜のつぼみがどっとほころんで、手がつけられないほど咲き乱れている。
この歌は、技巧的に作られている。青柳の枝が伸びるのを縒った「糸」にたとえている。以下、その「糸」に関係する語を連ねていく。「はる」には「張る」も掛かっている。「乱れる」は多くの花が咲く様子を言うが、これも「糸」に関連している。更に、花が咲くことを「ほころぶ」と言う。つまり、「糸」の縁語を多用しているのである。
ただし、これは単なる技巧ではない。花が柳と呼応するかのように咲き始める様子を表している。この歌の技巧は、それを発見した感動に対応しているのだ。技巧のための技巧ではない。必然性がある。
ただ、歌の並べ方として、季節がここだけ先行しているような感がある。
コメント
まだ若い柳の青がまるで糸を縒るように春風に靡く。収斂されるイメージですね。その糸でどんな絹を織りましょう。柳を揺らした風は桜の蕾をほころばせる。花衣を身に纏って咲き初めの桜だというのに爛漫の春を想像させます。三十一文字のドラマは柔らかな色彩に満ちていますね。
春が次々に連鎖して進んでいくそんな様子が目に見えます。縁語はそれを表しているのでしょう。
あらゆるものがつながっています。その繋がりの発見が詩なのでしょう。
桜のつぼみがほころんて、青柳の糸で縫うだなんて、うわあ、素敵な表現ですね。感動しました。
表現技巧は、感動が生み出すものです。そこには、その表現でしか捉えられない感動があります。
擬人法も必然的に用いられています。