第十六段  楽器について

神楽こそなまめかしく、おもしろけれ、おほかた、ものの音には、笛・篳篥(ひちりき)。常に聞きたきは、琵琶・和琴(わごん)。

神楽:神を慰めるため、神前で奏する歌舞。
なまめかしく:「なまめく」の形容詞化。優美だ。雅やかだ。若さ・清らかさ・上品さから来る美しさ。
おもしろけれ:風情がある。興味深い。ぱっと目を引く快さ。

「神楽は、優美で快いが、一般に、楽器の音には、神楽笛・篳篥がいい。儀式ではなく、いつでも聞きたいのは、琵琶・和琴だ。

話題は、楽しみの連想により旅から楽器に移る。この段の文体は、『枕草子』の「物づくし」に倣っている。神楽は今でも残っているが、中世でも既に古めかしさを感じさせたようだ。神楽笛や篳篥は、伝承者を失いつつあったと言う。また、琵琶・和琴も弾ける人が少なかったとか。兼好法師は、そういう衰えつつあるものに目を付けることで、自らの趣味の高尚さを誇示しているようだ。ただし、例によって、どこがいいのかの理由は述べていない。

 

コメント

  1. すいわ より:

    吹きものに笙が入っていませんね。良いとされる楽器の音には吹きものを挙げているのに、いつも聞きたいのは弾きものと言うあたりがなんともちぐはぐで、兼好さん、実はあまり音楽はわからなかったのではないかと思ってしまいます。打ちものには一切触れていない、太鼓や鉦は雅じゃないという事なのか?打ちものあってこそ吹きもの弾きものの旋律が引き立つのですけれど。

    • 山川 信一 より:

      鋭いご指摘です。「吹きもの」「弾きもの」「打ちもの」に分けてのご説明に説得力があります。同感です。
      兼好法師は音楽への関心はそれほどでは無かったようですね。様々なことに目配りしていますよと、誇示するために書いたような気もします。

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