かかるに、いま、すべらぎのあめのしたしろしめすこと、よつの時ここのかへりになむなりぬる。あまねきおほむうつくしみのなみ、やしまのほかまでながれ、ひろきおほむめぐみのかげ、つくば山のふもとよりもしげくおはしまして、よろづのまつりごとをきこしめすいとま、もろもろのことをすてたまはぬあまりに、いにしへのことをもわすれじ、ふりにしことをもおこしたまふとて、いまも見そなはし、のちの世にもつたはれとて、延喜五年四月十八日に、大内記きのとものり、御書のところのあづかりきのつらゆき、さきのかひのさう官おふしかうちのみつね、右衛門の府生みぶのただみねらにおほせられて、万えふしふにいらぬふるきうた、みづからのをも、たてまつらしめ給ひてなむ。
「このような中で、今、(醍醐)天皇が天下をお治めになることが、四季が九回繰り返された。すみずみまで広く行き渡っている天皇のご寵愛の波が八島の外にまで流れ、広い天皇のご庇護は、筑波山の麓よりも豊かにございまして、様々なまつりごとをお治めになる間に、諸々のことをなおざりになさらぬあまりに、古のことも忘れまい、古くなってしまったことも再び盛んになさろうとして、今もご覧になり、後の世ににも伝われとのことで、延喜五年四月十八日に、大内記・紀友則、宮中書物保管役人・紀貫之、前甲斐主典・凡河内躬恒、右衛門府生・壬生忠岑らにお命じになられて、『万葉集』に入らない古い歌、及び、それぞれの歌も、献上させなさった。」
ここから『古今和歌集』が醍醐天皇による勅撰和歌集であることがわかる。貫之は、殊の外、天皇を讃えている。
それがなかに、むめをかざすよりはじめて、ほととぎすをきき、もみぢををり、雪を見るにいたるまで、又、つる、かめにつけて、きみをおもひ、人をもいはひ、秋はぎ、夏草を見て、つまをこひ、あふさか山にいたりて、たむけをいのり、あるは、春夏秋冬にもいらぬ、くさぐさのうたをなむ、えらばせたまひける。すべて、千うた、はたまき。名づけてこきむわかしふといふ。
「それの中に、春の歌から始めて、夏の歌、秋の歌、冬の歌、賀の歌、恋の歌、離別・羈旅の歌、哀傷・雜・物名その他の歌を選ばせなさった。すべて、千首・二十巻、名付けて『古今和歌集』と言う。」
『古今和歌集』成立の事情が語られる。部立てを表す言葉に工夫が凝らされている。すべてが和歌的な表現になっている。「千首」とあるが、実際は千百十一首である。これは概数を言ったのだろう。
コメント
天皇という後ろ盾を前面に出して、これから貫之が進まんとする道に無用な邪魔が入らないようにしたものでしょうか。
梅から始まる部立てを示す表現、まるで目の前を映像が流れて行くかのように鮮やかなイメージが立ち上がります。貫之の意気込みが感じられます。
そのようですね。あれだけ言いたい放題なのですから、天皇から絶対の信頼を得ていたのでしょう。序文でもそのことをアピ-ルしているのでしょう。
部立ては考え抜かれたものでしょう。それを言う貫之の表現力は生半可なものではありませんね。まさに流れるごとくとはこのことを言います。