和歌の効用②

しかあるのみにあらず。さざれいしにたとへ、つくば山にかけてきみをねがひ、よろこび身にすぎ、たのしび心にあまり、ふじのけぶりによそへて人をこひ、松虫のねにともをしのび、たかさご、すみの江のまつも、あひおひのやうにおぼえ、をとこ山のむかしをおもひいでて、をみなへしのひとときをくねるにも、うたをいひてぞなぐさめける

「ふじのけぶりによそへて人をこひ」は、次の歌を言う。
「人しれぬおもひをつねにするがなるふじの山こそわが身なりけり」
富士山は常に人知れぬ火を燃やしているが、私も人知れぬ思いを常にしていて、駿河にある富士の山こそわが身そっくりであった。
「松虫のねにともをしのび」は、次の歌を言う。松虫の「松」を「待つ」と掛けている。
「君しのぶ草にやつるるふるさとは松虫のねぞかなしかりける」
私は君を偲んでやつれ、家はしのぶ草が茂ってやつれている、そのふるさとは、松虫の音がかなしく聞こえ、君を待って泣く私の声がかなしく聞こえる。
以上は、物に託して恋の思いを歌う例である。
「たかさご、すみの江のまつも、あひおひのやうにおぼえ」は、次の歌を言う。
「我みてもひさしくなりぬすみのえのきしのひめまついくよへぬらん」
この松は私が見てからも久しくなった。住の江の岸の「ひめまつ」は幾代経ているのだろう。
「住吉の岸のひめまつ人ならばいく世かへしととはましものを」
住吉の岸の「ひめまつ」が人であるなら、幾代経たかと問うだろうになあ。
「たれをかもしる人にせんたかさごのまつもむかしの友ならなくに」
私は誰を昔からの知り合いとしようかなあ。高砂の松も昔からの友ではないものを。
「あひおひのやうにおぼえ」とは、夫婦のように共に年久しく長らえるものに思えるということ。
「をとこ山のむかしをおもひいでて」は、次の歌を言う。
「今こそあれ我もむかしはおとこ山さかゆく時もありこしものを」
いまこそこんなだけど、私も昔は、男山の坂を上るように、栄えていく時もあったのになあ。
以上は、年を経ることへの感慨を歌ったものである。
「をみなへしのひとときをくねるにも」は、次の歌を言う。
「秋の野になまめきたてるをみなへしあなかしがまし花もひと時」
秋の野に実を競って立っている女郎花よ ああやかましい。美しい盛りもほんのしばらくの間だ。
これは、女のおしゃべりのやかましさに愚痴を言う歌である。
歌は、このように人生の様々な場面で心を慰める。
この文章は、歌の触りを言って、その歌を連想させながら論を進めている。

コメント

  1. すいわ より:

    多種多様、彩豊かな例示のおかげで和歌への間口が広がりますね。「たかさご」「おみなへし」、能の演目にあったなぁと思いました。男山とおみなへしで男女対になっているのですね。

    • 山川 信一 より:

      これほどの技巧を持った文はそうそう書けるものではありません。貫之の表現力が並外れたものであることがわかります。

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