六つの歌の様②

よつには、たとへうた、
わがこひはよむともつきじありそうみのはまのまさごはよみつくすとも
といへるなるべし。

たとへうた:自然の風物をかりてそこに作者の心情を託した歌。
この歌の意は、次の通りである。
「私の恋は、歌に詠んだとしても読み尽きることはないだろう。たとえ、荒磯の真砂を数え尽くしたとしても。」
磯の砂の粒を数え尽くすことが不可能なことは誰でも知っている。それを借りて自分の恋がどれほどのものかを言っている。

いつつには、ただことうた、
いつはりのなき世なりせばいかばかり人のことのはうれしからまし
といへるなるべし。

ただことうた:物にたとえて言わないで直接表現する歌。深い心を平坦に詠む歌。
この歌の意は、次の通りである。
「嘘のない世であったなら、人の言葉がどれほど嬉しいことか。現実にはそうでないので、いくら調子のいいことを言われても、その言葉は信じられず、悲しい。」

むつには、いはひうた、
このとのはむべもとみけりさき草のみつばよつばにとのづくりせり
といへるなるべし。

いはひうた:御代を言祝ぎ、人の長寿を祝福する歌。
この歌の意は、次の通りである。
「この御殿はほんとうに目を惹くことだなあ。幾棟も立派に建て並べて造ってある。」

この分類は詩経の六義を元にしている。六義の形式が先行しており、和歌にやや強引に当てはめている。漢詩の権威を利用して、和歌を漢詩と同等なレベルに引き上げようとしたのだろう。それでいて、その思いを巧みに隠している。些か作為的であるが、勅撰集の序を書くという立場上、こう書かざるを得なかったのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    漢詩を常に意識しているのですね。固定観念を逆手に取って和歌をアピールするやり方はなかなかの名プロデュース振り。例示された歌は貫之のものですか?「さき草のみつばよつばに、、」はさき(幸)草の、葉が三つ四つと増えていく様を屋敷の棟が増え、栄えて行く様子を表しているのですか?

    • 山川 信一 より:

      この歌は、催馬楽(平安時代に隆盛した古代歌謡)の中にあるそうです。屋敷の棟が増えて行く様を葉が増えていく様にたとえた歌でしょう。
      「さきぐさ」は、幸き草とも、三枝とも考えられます。三枝は、枝が三つに分かれて伸びていくという意味です。

    • らん より:

      漢詩ってすごく格があるんですね。
      中国4000年の歴史ですものね。
      和歌をそれに対抗させてるんだなあ、すごく意識してるなあって思いました。

      和歌はひらがなが柔らかくてすごく素敵なのになあ。

      • 山川 信一 より:

        漢詩は偉大です。後世ヘルマン・ヘッセも愛したそうです。それに対抗しようというのですから、相当気合いが入っているはずです。
        そこで、貫之は仮名の特徴を最大限に引き出す表現法を考えました。たとえば、掛詞です。これは、仮名が清濁を書き分けないことを利用したものです。

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