さて、いけめいてくぼまりみづつけるところあり。ほとりにまつもありき。いつとせむとせのうちに千とせやすぎにけむ、かたへはなくなりにけり。いまおひたるぞまじれる。おほかたのみなあれにたれば、「あはれ」とぞひとびといふ。
問1「いつとせむとせのうちに千とせやすぎにけむ」とあるが、なぜこんなことを言うのか、説明しなさい。
問2「「あはれ」とぞひとびといふ」とあるが、この「あはれ」はどのような思いか、説明しなさい。
さて、池のように窪まり、水に浸かっているところがある。これはかつてはちゃんとした池だったのだろう。今では、それらしいものに変わってしまったのだ。ほとりに松も生えていた。五、六年の間に千年が過ぎてしまったのだろうかと思われるほど、その変容には驚くばかりだ。すっかり変わり果てて、松の一部は無くなってしまった。これでは手の入れようも無い。家でさえボロボロなのだから、ましてや庭の手入れなどはなされるはずが無い。隣人の心も千年が過ぎるほど変わり果ててしまったのだろう。(問1)
ただし、新しく生えてきたのも混じっている。庭の大部分が荒れてしまったので、「ああ、滅びるものもあれば生まれてくるものある。これが自然の営みなのだなあ。」と感動して人々が言う。(問2)
コメント
荒廃の中にもたった一つ希望を見出せれば次の一歩を踏み出せますね。いつの時代も、どこであっても。心の荒廃には、、人が「歌」を手に出来て幸いです。
新たに生えてきた小松には、どれほど癒やされたことでしょう。
家と庭の荒廃にも人の心のそれにも打ちのめされていればこそ殊更です。