和泉の国に来ぬ

三十日、あめかぜふかず。かいぞくはよるありきせざなりとききて、よなかばかりにふねをいだしてあはのみとをわたる。よなかなればにしひんがしもみえず、をとこをんなからくかみほとけをいのりてこのみとをわたりぬ。とらうのときばかりに、ぬしまといふところをすぎてたなかはといふところをわたる。からくいそぎていづみのなだといふところにいたりぬ。けふうみになみににたるものなし。かみほとけのめぐみかうぶれるににたり。けふふねにのりしひよりかぞふればみそかあまりここぬかになりにけり。いまはいずみのくににきぬればかいぞくものならず

三十日、雨風吹かず。海賊は夜歩きせざなりと聞きて、夜中ばかりに船を出して阿波の水門を渡る。夜中なれば西東も見えず、男女辛く神仏を祈りてこの水門を渡りぬ。寅卯の時ばかりに、沼島といふ所を過ぎて多奈川といふ所を渡る。辛く急ぎて和泉の灘といふ所に至りぬ。今日海に浪に似たる物なし。神仏の恵み蒙ぶれるに似たり。今日船に乗りし日より数ふれば三十日あまり九日になりにけり。今は和泉の国に来ぬれば海賊ものならず。

かいぞくはよるありきせざなり:船乗りにはそういう俗信があった。「ざなり」は、「ざんなり」の「ん」の無表記。)
からく:必死に。やっと。
とらうのとき:午前五時頃。まだ夜が明けていない頃。

問 次の①、②からどのような思いが読み取れるか、答えなさい。
①「かみほとけのめぐみかうぶれるににたり」
②「いまはいずみのくににきぬればかいぞくものならず」

コメント

  1. すいわ より:

    「あはのみと」、鳴門海峡ですよね。海の難所を海賊の襲来を避けるために暗い海を進むのはどれ程恐ろしい事でしょう。正に神頼み。生きた心地がしなかったのではないでしょうか。日が昇る前に難所を通り過ぎたい、そして内海、湾の中に入ってやっと海は凪ぎ、白々と夜が明けてくる。①は船上で必死に祈りを捧げ、神に思いは届いた、後光が差すと言いますが、夜が明けて来て、朝日はさながら仏の慈愛の光を浴びるような思いだったのではないでしょうか。
    ②和泉国へ入って、土佐から続いた海賊の縄張りからも出て、襲撃の恐れも無くなった。海は穏やか、肩の力が一気に抜けて安堵したのではないでしょうか。

    「海賊は夜歩きせざなり」、船を出さない、でなく夜歩きしない、「歩く」という表現がむしろ海賊たちの余裕綽々とした様子に思えて一般の旅人には一層恐ろしい印象を与えたのではないでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      いずれも読み込んだ上でのお答えで素晴らしいです。申し分ありません。
      「歩く」が使ってある理由もおっしゃるとおりです。海賊たちは海を我が物顔で自分の庭のように歩き回るのでしょう。

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