こころなぐさめ

廿七日、かぜふきなみあらければふねいださず。これかれかしこくなげく。をとこたちのこころなぐさめに、からうたに「ひをのぞめばみやことほし」などいふなることのさまをききて、あるをんなのよめるうた、
「ひをだにもあまぐもちかくみるものをみやこへとおもふみちのはるけさ」。
またあるひとのよめる。
「ふくかぜのたえぬかぎりしたちくればなみぢはいとゞはるけかりけり」。
ひひとひかぜやまず。つまはじきしてねぬ

廿七日、風吹き浪荒ければ船出さず。これかれかしこく歎く。男たちの心慰めに、唐歌に「日を望めば都遠し」など言ふなることの様を聞きて、ある女の詠める歌、
「日をだにも天雲近く見るものを都へと思ふ道の遙けさ」。
又ある人の詠める。
「吹く風の絶えぬ限りし立ち来れば波路はいとゞ遙けかりけり」。
日一日風止まず。爪弾きして寝ぬ。

かしこく:はなはだしく。
こころなぐさめ:心を慰めたり楽しませたりすること。また、そのもの。
いふなること:「なる」は伝聞の助動詞の連体形。書き手は女であることを示す。
だにも:さえも。
ひひとひ:一日中。
つまはじきして:他の指を親指の腹に当ててはじくこと。思いのままにならない時や人を疎んじ憎む時の仕草。

問 漢詩と二つの歌は、どういう関係にあるのか、またそれを通して何が言いたいのか、答えなさい。

コメント

  1. すいわ より:

    漢詩の言わんとするところを二つの歌が補完して、よりその意味を分かり易くしている。
    漢詩では伝え切れない細やかな心情を和歌で詠む事で共有する事が出来ることを伝えたい。

    聞こえた漢詩は「日を仰ぎ見ると都は遠い(と感じられる)」、これ、どういう意味だろう?と思いました。漢詩を受けて詠んだ歌「空高く浮かぶ雲だけでなく、太陽さえも見上げれば見えると言うのに、都はいっこうに見えて来ない。都へ早く着きたいと思う気持ちとは裏腹になんとまぁ遥か遠いことか」「吹く風が止まらない限り波は立って船は進まない。この旅路のなんと遥か続くことか」これで合っているとしたら、まさしく貫之は和歌の効用を訴えたかったのではないでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      「貫之は漢詩の効用を訴えたかった」に賛成します。そのお手本を示しているのでしょう。和歌が「漢詩では伝え切れない細やかな心情を和歌で詠む事で共有する事が出来る」のはその通りです。
      ここでは、更にその関わりを言っているのでしょう。初めの歌は、漢詩に隠れている「太陽さえも見上げれば見えると言うのに、都はいっこうに見えて来ない。」という思いを明らかにしています。言わば、発展です。
      次の歌は、航海で一貫してこだわっている「浪」に焦点を当てています。いわば、転換です。

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