元日、なほおなじとまりなり。白散をあるものよのまとてふなやかたにさしはさめりければ、かぜにふきならさせてうみにいれてえのまずなりぬ。いもしあらめもはがためもなし。かやうのものもなきくになり。もとめもおかず。ただおしあゆのくちをのみぞすふ。このすふひとびとのくちをおしあゆもしおもふやうあらむや。けふはみやこのみぞおもひやらるゝ。こへのかどのしりくべなはのなよしのかしらひゝらぎらいかにとぞいひあへる。
問 なぜ押鮎を食べないで、口だけ吸っているのか答えなさい。
元旦は、なおも同じところにいる。舟は一向に先に進まない。みんな少しうんざりして来ている。正月らしさを味わおうにも、祝い物の白散は海に落してしまった。屠蘇は飲んだけれど、他に縁起物は何も無い。あるのは、名善の頭の代わりの押鮎だけだ。もったいなくて直ぐには食べられない。だから、ちびちび口を吸っているのだ。その様子を自嘲気味に鮎はどう思っているのだろうと言うのである。それ故、殊更、京の正月の様子が目に浮かんでくる。そこで、みんなであれこれ想像しておしゃべりする。京への思いが募るばかりだ。
コメント
遅々として進まぬ旅路、本来なら心浮き立つお正月の雰囲気を楽しむ所なのに、十分な支度の整わない船の上、気持ちばかりが京へとはやるのですね。それにしても出発して十日、こんなに進まないものなのですね。
『土佐日記』は、フィクションなのに、リアリティが感じられるように書いてあります。この時代の船旅はこんな感じだったのでしょう。
この先こちらまでイライラするほど進みません。
つまんないお正月ですね。
早く帰りたい気持ちでいっぱいですね。
でも、帰れるまでまだまだかかりそうです。
おしゃべりしか楽しみはないですね。
この場合のおしゃべりは、ぼやきに近いものでしょう。舟の上なので何もありません。京のお正月を思うしかありません。
「今頃はああだろうな。こうだろうな。京にいたらこうしていたのに!」って。
コロナ禍で外出が制限されている私たちの思いにちょっと似ていますね。