心が伴わない贈り物

廿八日、うらどよりこぎいでゝおほみなとをおふ。このあひだにはやくのかみのこやまぐちのちみね、さけよきものどももてきてふねにいれたりゆくゆくのみくふ

ようやく舟が動き出した。門出からもう一週間も経っているのにほとんど進んでいない。この間に(出発前のわずかな時間の間か、出発後に小舟を着けたのか)、以前の国司の子の山口千岑が酒や良い物(食べ物)を舟に入れた。国司のその人ではない。子を義理で遣わしたのだろう。贈答品だけ舟に積み込んで帰った。持ってきたのは良き物である。しかし、物は立派でも、心が伴わない。前日、「かみのはらから」一行が「酒なにとも」(=あり合わせの物)を手にやって来て名残を惜しんでくれたのとは対照的である。ただ、貰ったからには、舟が行くにしたがって飲み食いはする。少しも感謝していないことがわかる。良き物は、恐らく不当な蓄財によるものだろうから。

コメント

  1. すいわ より:

    行動の主体とその目的をしっかり掴まなくてはいけませんでした。それにしても、まともな国司はいないのでしょうか(らんさんも一緒に怒ってくれるはず!)。旧国司は当たり前の事として務めを果たして来たのでしょうけれど、他があまりにも酷いです。旧国司は土地の人に愛されるわけですね。

    • 山川 信一 より:

      貫之は、事実だけを述べているようで、そこに批判を込めています。反面、有るべき姿を促しているのでしょう。

  2. らん より:

    当時はこういうひどい国司が普通のことだったのでしょうか。
    貫之のような慕われるいい国司がいたことはとてもラッキーなことだったのかなあと思いました。

    • 山川 信一 より:

      国司は民を何だと思っていたのでしょうね。しかし、この時代の国司に限らず為政者とはいつの世も似ています。
      誤魔化されないようにしましょう。それには、彼らの使う言葉に注目することです。
      訳のわからない言葉を遣ったら、国民を侮っている、騙していると思って間違いありません。
      たとえば、「総合的、俯瞰的活動を確保する観点から、今回の人事も判断した。」とか。

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