名残を惜しむ

といふあひだにかぢとりものゝあはれもしらでおのれしさけをくらひつれば、はやくいなむとてしほみちぬ、かぜもふきぬべしとさわげばふねにのりなむとす。このをりにあるひとびとをりふしにつけて、からうたどもときににつかはしきいふ。またあるひとにしくになれどかひうたなどいふ。かくうたふに、ふなやかたのちりもちり、そらゆくくももたゞよひぬとぞいふなる。こよひうらどにとまる。ふじはらのときざね、たちばなのすえひら、ことひとびとおひきたり。

といふ間に楫取ものゝあはれも知らで己し酒を食らひつれば、早く往なむとて「潮滿ちぬ。風も吹きぬべし」と騒げば船に乘りなむとす。この折にある人々折節につけて、漢詩ども時に似つかはしきいふ。又ある人西國なれど甲斐歌などいふ。かく歌ふに、舟屋形の塵も散り、空ゆく雲も漂ひぬとぞ言ふなる。今宵浦戸に留まる。藤原時實、橘季衡、異人々追ひ来たり。

ものゝあはれ:人情。人として自然に持つはずの思いやりや情緒。
おのれしさけをくらひつれば:自分は酒を飲み干してしまったので。「し」は強意の副助詞。
あるひとびとをりふしにつけて、からうたどもときににつかはしきいふ:舟に乗らずにそこに残った人々が悲しげな節を付けて、唐詩など別れにふさわしいのを朗詠した。
かひうた:『古今和歌集』「東歌」「甲斐が嶺を嶺越し山越し吹く風を人にもがもや言伝てやらむ(甲斐の国の山を越し峰を越して吹く風を人間にしたいなあ。そうしたら、伝言を伝えてやるだろう。)」
ふなやかたのちりもちり:歌声に舟の屋形の塵も共鳴して落ちてくるということ。

問1「といふあひだにかぢとりものゝあはれもしらでおのれしさけをくらひつれば、はやくいなむとてしほみちぬ、かぜもふきぬべしとさわげばふねにのりなむとす。」とあるが、ここから思い出すエピソードを答えなさい。
問2「このをりに」残った人々が漢詩を朗詠し始めたのはなぜか、答えなさい。
問3「あるひとにしくになれどかひうたなどいふ」について、
①「あるひと」とは誰のことか、②なぜ甲斐歌を歌ったのか、答えなさい。
問4「ふじはらのときざね」についてどういうことがわかるか、答えなさい。

コメント

  1. すいわ より:

    問一
    伊勢物語第九段「東下り」のすみだ河を渡ろうとする場面と似ているように思います。
    問二
    いよいよ別れの時が来て、教養高いであろう旧国司に最上の惜別の贈り物をしたかった。
    問三
    ①旧国司(紀貫之)
    ②贈られた漢詩の返歌として貫之編纂の「古今和歌集」から感謝の意を伝えようとする歌を歌った。表向き作者の身元を伏せているけれど、署名行動の現れかも?
    問四
    ふじわらのときざね、公費で大盤振る舞いの時実ですよね?
    兄弟が鹿児の崎で見送りした事を聞きつけてまだ饗宴に与れると追って来たのではないか?

    • 山川 信一 より:

      問1は、その通りです。明らかにそれを踏まえて書いています。問2は、漢詩であるからですか?確かに漢詩の地位は高かったから、そういう面もありましたね。
      問3は、『土佐日記』の作者が来に貫之であることを暗に示したのでしょう。問4は、少し誤解があります。「はらから」は新国司の兄弟です。

  2. すいわ より:

    李白の詩を思い出しました。

    李白乗舟將欲行
    忽聞岸上踏歌声
    桃花潭水深千尺
    不及汪倫送我情

    後半半分、思い出せずに調べました。
    中学生の時、教科書に載っていたような、、心情や状況が似ていると思ったのですが、これを送られる側が詠うのでなく、送る側の人達が詠うのではおかしいですね、、

    • 山川 信一 より:

      中学生の時に学んだ漢詩を覚えているとはさすがです。当時の先生が聞いたら大喜びしますね。ただ、この漢詩には限りません。別れを読んだ漢詩は数多くあります。それを次から次へと朗詠して、出発を遅らせようとしたのです。
      また、ここではその漢詩を具体的に思い起こさせようとはしていません。思い起こさせたいのは、甲斐歌の方です。貫之には、漢詩への対抗意識があります。だから、漢詩に甲斐歌で対抗しています。やまとうたは、からうたに引けを取るものではないと実証しているのです。

  3. すいわ より:

    問四、とんでもない勘違いをしました。それに加えて新国司のはらからが兄弟でなく「姉妹」だった事にも驚きました。馬で追いかけて来たとの解説で早馬で追いつくところに女性を想像しませんでした。貫之の政治的不遇と長子でない「はらから」の不遇、お互いに共感するところがあって親しくなったのかと思いました。
    甲斐歌について、「からうたに引けを取るものではないと実証している」、「土佐日記」、「をとこもすなる、、」と女のフリをしてと言うよりも、男文字、女文字と言うところからアプローチして、むしろ「やまとことば」の可能性、有用性を実証しようとしたのではないかと思えて来ました。

    • 山川 信一 より:

      失礼しました。「姉妹」は「兄弟」の変換ミスです。ここで姉妹が出てくる必然性もありません。誤解を与えてすみませんでした。
      やまとうただけでなく、もっと大きく「「やまとことば」の可能性、有用性を実証しようとした」には賛成です。
      ただ、この作品ではからうたが出てくると必ずやまとうたも出て来ます。やはり意識しています。

    • 山川 信一 より:

      問4は、私に変換ミスです。「姉妹」は「兄弟」です。誤解を与えてすみませんでした。
      「やまとうた」を超えて、「「やまとことば」の可能性、有用性を実証しようとした」には賛成です。
      ただ「やまとうた」へのこだわりは、あります。「からうた」が出てくると必ず、「やまとうた」も出て来ます。
      「やまとうたはひとのこころをたねとしてよろづのことのはとそなれりける」を書いた人ですから。

タイトルとURLをコピーしました