心あるもの

廿三日、やぎのやすのりといふひとあり。このひとくににかならずしもいひつかふものにもあらざるなり。これぞただしきやうにてむまのはなむけしたる。かみがらにやあらむ、くにびとのこころのつねとしていまはとてみえざなるをこころあるものははぢずぞなむきける。これはものによりてほむるにしもあらず。

この部分に漢字を当てると次のようになる。

廿三日、八木の康教といふ人あり。この人國に必ずしも言ひ仕ふ者にもあらざるなり。これぞ正しきやうにて馬の餞したる。守柄にやあらむ、國人の心の常として今はとて見えざなるを心あるものは恥ぢずぞなむきける。これは物によりて譽むるにしもあらず。

問 「かみがらにやあらむ」とは、どういう思いを述べているのか、答えなさい。

コメント

  1. すいわ より:

    「八木の康教は要職にあるわけでは無いけれど、心ある人で周りの目を気にする事なく(外聞を恥じる事なく)心のこもった見送りをしに来てくれた」ということか?
    それに引き換え「かみがらにやあらむ」、「仕事がらだろうか?」お役人の間の常識ではここを離れる人となったら見送りにも現れない。
    任期があって異動する事の多い役人達の間では職場が一緒の間だけビジネスライクな付き合いはするけれど、いざ、職場を離れるとなったら用は無いと挨拶すらしない、世知辛いものだよなぁ、と言ったところでしょうか。八木にいいものをもらったから褒めてるんじゃ無いんだけど、と冗談めいたことを言ってきつい批判を和らげたのでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      「八木の康教は要職にあるわけでは無いけれど、心ある人で周りの目を気にする事なく(外聞を恥じる事なく)心のこもった見送りをしに来てくれた」そのとおりです。
      以下の読みは、ズレてしまいました。以下も、八木康教について述べています。「守柄」は、旧国司、つまり、貫之のことです。旧国司の人柄が康教の望ましい態度を引き出したのです。
      藤原時実の時と違って、この人物についての解説があったり、洒落もなく淡々と書いていたりするところにも注目してください。

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