これよりは騒ぐことはなけれど、精神の作用は殆《ほとんど》全く廃して、その痴《ち》なること赤児の如くなり。医に見せしに、過劇なる心労にて急に起りし「パラノイア」といふ病《やまひ》なれば、治癒の見込なしといふ。ダルドルフの癲狂院《てんきやうゐん》に入れむとせしに、泣き叫びて聴かず、後にはかの襁褓一つを身につけて、幾度か出しては見、見ては欷歔《ききよ》す。余が病牀をば離れねど、これさへ心ありてにはあらずと見ゆ。たゞをり/\思ひ出したるやうに「薬を、薬を」といふのみ。
「エリスは廃人になってしまった。医師に診せたところ、パラノイア(偏執症)という病気で、治癒の見込みはないとのことだった。ベルリン郊外の精神病院に入れようとしたが、泣き叫んで言うことを聞かない。その後は、あのオムツ一つを身に付けて、幾度か出しては見、見てはすすり泣く。ここからどういうことがわかる?」
「エリスは、豊太郎と暮らしたこの部屋を離れたくないんだ。豊太郎への憎しみは消えて、幸せな日々の想い出が残ったんだ。同時に、豊太郎に棄てられた子どもが哀れでならない。可哀想なエリス。」
「豊太郎の病床を離れないけれど、これとても意識的にそうしている訳ではないと見える。ただ時々思い出したように「薬を、薬を」と言うだけである。ここからわかることは。」
「エリスの中では、まだ豊太郎を看病しているんだね。豊太郎を心配する気持ちが残ったんだ。さっき、「エリスは、豊太郎と暮らしたこの部屋を離れたくないんだ。」って言ったけど、病気の豊太郎を置いていく訳にはいかないと思ったんじゃないかな。この気持ちもあるよね。」
エリスも耐えられない現実から逃げ出したかったのだ。その思いの強さがエリスを狂わせてしまった。しかし、廃人になっても、豊太郎の病気を心配する気持ちと二人の子を思う気持ちは残った。豊太郎を憎む気持ちは消えてしまった。エリスは本当に豊太郎を愛していたのだ。と言うより愛していたかったのかな。誰かを愛するというのは、その人を愛する自分でいたいということでもあるから。
コメント
医者に診せた、治らない、精神病院へ。まるで用済みの人形を処分するように、エリスやお腹の子供に対して心配の言葉も無く簡単に人手に任せようとする豊太郎に対して、自分の意識を手放しても子供と豊太郎、この二つへの愛の気持ちだけは残ったエリス。外からパンドラの箱をこじ開けられ、隠していた感情の爆発で豊太郎への鬱憤が吹き飛んで、後に残ったのが愛だった。爆発させず、小出しにしていたら、思うことをその都度伝えていたら、豊太郎の側に居続けられたでしょうか。豊太郎の心には届かなかったでしょうね。一緒にいる為には豊太郎をまず育て直さなくてはならない。あなたのお父様は病気で亡くなったと、目醒めぬ夢の中で我が子の手を取って踊り続けた方が幸せなのかもしれません。幸せだった時の記憶に留まって、家に残って良かった。病院へ入院させられたら子どもも取り上げられてしまったでしょう。喪失するのは、愛を手放さねばならないのは豊太郎だけでいい。
エリスの精神がここまで脆かったのは、偶然です。しかし、どこまでも豊太郎を愛していたことは確かです。だから、これほど強いショックを受けました。もちろん、エリスにもやり方はあったでしょう。しかし、まだ十代の女性にこれ以上の愛を求めるのは酷です。エリスを責めることはできません。
ここはエリスが豊太郎の犠牲者であることが際立つように書かれています。豊太郎がエリスを精神病院に入れてしまおうとするのは、それと対照的な仕打ちです。エリスへの愛が無くなってしまった表れでしょう。
狂ったエリスに子どもが育てられるのでしょうか?とても気になります。