咳枯れたる老媼の声

 人の見るが厭はしさに、早足に行く少女の跡に附きて、寺の筋向ひなる大戸を入れば、欠け損じたる石の梯あり。これを上ぼりて、四階目に腰を折りて潜るべき程の戸あり。少女は鏽《さ》びたる針金の先きを捩《ね》ぢ曲げたるに、手を掛けて強く引きしに、中には咳枯《しはが》れたる老媼《おうな》の声して、「誰《た》ぞ」と問ふ。エリス帰りぬと答ふる間もなく、戸をあらゝかに引開《ひきあ》けしは、半ば白《しら》みたる髪、悪《あ》しき相にはあらねど、貧苦の痕を額《ぬか》に印せし面の老媼にて、古き獣綿の衣を着、汚れたる上靴を穿《は》きたり。エリスの余に会釈して入るを、かれは待ち兼ねし如く、戸を劇《はげ》しくたて切りつ。

「「人の見るが厭はしさに、早足に行く少女の跡に附きて」からどんなことがわかるかな?」
「美しい少女と東洋人が連れ立って歩いているので、道行く人にじろじろ見られたんだ。人種差別的な視線だろうね。「足早に」から少女もそれを気にしていることがわかる。」
「「石の梯」は階段、「鏽びたる針金の先きを捩ぢ曲げたる」は、呼び鈴の紐の先の引き金のことだね。錆びてることから貧乏な暮らしぶりがわかる。中から老婆の「誰だ?」という掠れた声がする。「エリスが帰ってきました。」と少女が答える。ここで少女の名前が明らかにされる。老婆は、その答えを聞いて、戸を荒々しく開けた。なぜ荒々しく開けたの?」
「エリスが自分の言うことを聞かずに飛び出したことに怒っているからだよ。老婆はエリスの母親らしい。」
「声ばかりじゃなくて、見た目も「半ば白みたる髪、悪しき相にはあらねど、貧苦の痕を額に印せし面の老媼」とあるように、年老いて見えるんだ。西洋人は老けるのが早いからね。娘が十六、七ぐらいなんだから、それほどの年じゃないよね。「獣綿」はウール。「エリスの余に会釈して入るを、かれは待ち兼ねし如く、戸を劇しくたて切りつ」ってどういうこと?」
「エリスが会釈しして豊太郎に中に入るように促したのに、母親はドアをぴしゃりと閉めて豊太郎を閉め出したんだ。」
「なんでそんなことをしたの?」
「そりゃあ、知らない男を簡単に家に入れる訳にはいかないでしょ。」
「加えて、人種的偏見もあるよね。何も言わずに閉め出したんだからね。」
「豊太郎は得体の知れない東洋人だからね。まあ、これはわからんでもない。だって、もし、あたしが外国人を、それも色の黒い人を家に連れて行ったら、きっとお母さんはそれに近いことをすると思う。日本人にも差別意識があるからね。」
 家に行くまでの流れが過不足なく書かれている。よく事実文と意見文を区別しなさいと言うけれど、あれは余計な分類だ。なぜなら、事実だって多くの事実の中からその事実が選ばれている時点で意見だからだ。逆に事実を以て意見を言うこともある。「どこかに行かない?」「雨だよ。」の「雨だよ。」がそうだ。これは、〈行かない。〉という意見だ。鷗外も必要だと思われる事実だけを選んで書いている。それが適切なのだ。しかも、豊太郎の関心も表している。

コメント

  1. すいわ より:

    見られて嫌、というよりも好奇の目にこの親切な人を晒したくない、という気持ちの方が強いようにも思います。修繕されない階段、間に合わせに付けられた錆びたドアの取っ手、そして『少年の日の思い出』でドイツの住宅は4階建てが一般的で4階は屋根裏部屋、物入れのようなちょっとした空間という事が話されましたが、普通なら居住スペースにはならない屋根裏部屋が彼女の「家」。中に入らずともその貧しさが豊太郎にはわかった事でしょう。そしてこの家をそのまま人間にしたような母親、恐らく眉間に皺を寄せて、垢くさい身なりで豊太郎を一瞥し、粗野な態度を取る彼女を、本当にこの美しい少女の母親なのだろうか、と思った事でしょう。そんな環境に染まらず、外見の美しさだけでない「エリス」の真っ直ぐな心映えに加えて名を知った事で、ただ何となく綺麗な人だなと思っていた彼女に豊太郎は尚更、惹かれていくのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      「好奇の目にこの親切な人を晒したくない、という気持ちの方が強い」とありますが、少女を少し美化しすぎていませんか?少女も人種差別という偏見と無関係にあるとは思えません。しかし、そこに出発点としてこらから変わっていくのです。
      少女は、自分の都合のためにこの東洋人を家に連れて行くことに多少なりとも後ろめたさを感じています。それが「足早」になった理由です。
      豊太郎は少女の事情の背景を見つけようとしています。その視点が捉えた建物の様子が描かれています。それはそれまで知らなかったドイツの貧しさでもありました。
      この時点で一層エリスに惹かれていくことは考えにくいです。それよりもこの老婆とエリスの関係に戸惑っているのでしょう。「母親?それにしてはあまりに違いすぎる・・・。」

  2. らん より:

    エリスは純粋ないい子ですね。
    初対面の外国人を家に連れていくところがびっくりしました。
    豊太郎も家に行ってしまうところがすごいですね。
    それだけ親身にエリスを心配しているということですね。
    これからどうなってしまうのか、ドキドキします。

    • 山川 信一 より:

      日常の常識の範囲で生きている時には、ドラマは生まれません。ある時、人は何かがきっかけで常識を打ち破る行動を取ることがあります。
      この二人の場合、エリスの境遇と豊太郎がエリスの美しさに心奪われつつそれに同情したことがきっかけになっています。
      日常は平凡に見えても、そういうきっかけがどこかに潜んでいます。絶えずそれを探している人もいれば、豊太郎のように偶然見つけてしまうこともあります。

  3. Rシュミット より:

    瑣末なことで申し訳ありません。

    >>「「石の梯」は階段、「鏽びたる針金の先きを捩ぢ曲げたる」は、ドアのノブ代わりものだ>>ろうね。ノブが壊れてしまって針金で代用しているんだよ。

    についてお尋ねいたします。

    これはドアのノブ代わりではなくて、呼び鈴の紐の先の引き金をL字状に曲げたものを、下に引いたということではないしょうか。

    理由を申し上げます。

    欧米のドアは基本すべて内開きです。内開きになっているのは、防犯上の理由もあると思われます。ドアは基本は蝶番で固定すものですが、外開きにすると蝶番が外側になってしまい、蝶番のピンを抜くと外から簡単にドアを外すことができます。

    日本は欧米諸国と違って玄関で履き物を脱ぐので、世界で例外的にドアは外開きに作られています。

    以下本文の引用です。

    少女は鏽《さ》びたる針金の先きを捩《ね》ぢ曲げたるに、手を掛けて強く引きしに、中には咳枯《しはが》れたる老媼《おうな》の声して、「誰《た》ぞ」と問ふ。エリス帰りぬと答ふる間もなく、戸をあらゝかに引開《ひきあ》けしは、半ば白《しら》みたる髪、

    ドアノブだとすると、少女はドアを引いたことになります。欧米にはない外開きとなります。もし外向きに引くドアであったとしても、直後には「戸をあらゝかに引開し」とあります。母はあきらかに家の中から家の中からのドアを引いて開けたのです。

    蝶番の構造から考えても、内外両開きのドアは作ることができませんし、たとえそのドアが一般住宅には考えられない、店舗やホテルにあるような内外両開きのドアだったとしても、そのようなドアは「戸を劇しくたて切りつ」ということはできないように思います。

    いかがでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      ご指摘もっともです。その考えに賛成します。少女は「呼び鈴の紐の先の引き金をL字状に曲げたものを、下に引いた」のでしょう。そうじゃないと、嫗の「戸をあらゝかに引開《ひきあ》けし」と矛盾します。私の誤読でした。
      神は細部に宿ると申します。細かなところを大事にするのが読解の基本です。細かな所まで読んでいただきありがとうございました。また何かありましたら、お教えください。

    • すいわ より:

      Rシュミット様
      目の鱗が落ちました。呼び鈴を鳴らす為の「取手」を引いたのですね。エリスと老媼の一連の動作がすんなりと目に浮かびました。全く気付かず読んでおりました。有難うございます、勉強になりました。

      • 山川 信一 より:

        自分のうかつさを反省しました。言われてみれば、エリスと母が共に引くことはあり得ません。それに、まず呼び鈴を鳴らすのが順序です。貧しいという先入観に囚われていました。
        それにしても、こういうご指摘はありがたく、嬉しいものです。ちゃんと読んでくださる方がいるのですね。励みになります。

  4. Rシュミット より:

    遅くなりました。返信ありがとうございます。

    ネットなどを見たのですがほとんどの人がドアの取っ手、あるいはぼやっと解釈していて、この部分を呼び鈴と書いているのは一件のみでした。
    教科書を出版している会社のエッセイにも把手とありました。ドアは外開きという自文化の思い込みはあるものですね。

    まあ、針金の先はL字ではなく丸くなっていたのかもしれませんが(笑)

    • 山川 信一 より:

      書かれていない前提(常識)がありますね。何か変だなと言う思いはどこかにあっても見落としてしまいがちです。
      これを指摘していただいて、本当にスッキリしました。何が重要で何か瑣末かなどは一概に言えません。どんな細やかな点もゆるがせにしない態度で読む態度が正しい読みに導いてくれます。
      お陰さまで、初心に返れました。ありがとうございました。ちなみのこの初心とは「正しく読むことができず生徒の前で立ち往生した時の惨めな自分の心」です。
      若き頃の自分を思い出せました。

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