我を救ひ玉へ、君。

 彼は驚きてわが黄なる面を打守りしが、我が真率なる心や色に形《あら》はれたりけん。「君は善き人なりと見ゆ。彼の如く酷《むご》くはあらじ。又《ま》た我母の如く。」暫し涸れたる涙の泉は又溢れて愛らしき頬《ほ》を流れ落つ。
「我を救ひ玉へ、君。わが恥なき人とならんを。母はわが彼の言葉に従はねばとて、我を打ちき。父は死にたり。明日《あす》は葬らでは愜《かな》はぬに、家に一銭の貯《たくはへ》だになし。」
 跡は欷歔《ききよ》の声のみ。我眼《まなこ》はこのうつむきたる少女の顫《ふる》ふ項《うなじ》にのみ注がれたり。

「ここには、少女の反応が書かれている。「わが黄なる面」とあるけど、なぜ肌の色について触れたの?」
「ここがヨーロッパだからだよ。周りは白人ばかりだから、日本にいるときには意識することのない肌の色を気にするんだ。豊太郎も、恐らく、それまでに差別的な扱いを何度も受けていたんだろう。それで、嫌でも肌の色を気にしないわけにはいかなくなっているんだ。」
「下心などない真面目さが顔にも出ていたのか、少女は警戒することもなく、言葉を返す。「あなたは善人に見えるわ。彼のように酷くはないでしょう。また、私の母のように酷くないでしょう。」と言うと、またすすり泣くばかり。ここからどんなことがわかる?」
「この少女には、人種差別の偏見があまりないみたいだね。純粋にいい人かどうかを見極めている。」
「そうかな?そんなことを気にしている余裕がなかったんじゃない、自分のことで精一杯で。誰であろうとかまわないから助けてほしかった。それほど切羽詰まっていたんだよ。」
「他には、少女の言う「彼」が誰なのか知りたくさせている。また、なぜ母まで酷いのかも。」
「「暫し涸れたる涙の泉は又溢れて愛らしき頬を流れ落つ」は美的な表現だね。この少女の美しさを側面から描き出している。」
「そこで、少女が助けを請う事情が語られる。このままでは自分が「恥なき人」になるからだ。母がそれを強いている。なぜかと言うと、父が亡くなり家には全く蓄えがないからだ。これってどういうこと?「彼の言葉に従」うとは?」
「詳しくはわからないけど、要するに「彼」に体を売れってことじゃない?母はそれをさせようとしているんだ。女がお金のために体を売るのは、いつの世も変わらない、悲しい事実だね。」
「この母親は、それで平気なの?言うことを聞かないので、「我を打ちき」ってあるよね。」
「この母親は現実主義者なんだよ。それをしないと生きていかれないんだから、しょうがないっていう考えなんだ。こういう親を〈毒親〉って言う。」
「世の中にはこういう母親もいるよね。気持ちなんて形の無いものなんて、どうでもいいって考えてる。ちょっと我慢すればいいだけのことじゃないか、何贅沢を言っているんだってさ。プライドってものが無いんだ。」
「今の日本にはこんなことないよね。昔は不景気になると、娘は売られたそうだけど。」
「そうかな?今もそう変わらないんじゃない?社会の経済格差は、確実に広がっている。日本は、先進国の中で相対的貧困率が第4位なんだって。社会人になっても大学の奨学金が返せなくて、風俗で働く女性もいるそうだよ。奨学金は、要するに借金だからね。あたしたちに無関係の話じゃない。」
「なるほど・・・。じゃ、物語に戻るね。それを聞いて、豊太郎は茫然としてうつむく少女の項を見つめるしかなかった。どう思っていたのかな?」
「恐らく豊太郎には事情が大体わかって、なんとか救いたいって思い始めたんじゃないかな?」
 豊太郎は、心を奪われた少女を何とか救いたいと思う。しかし、具体的な手立ては思いつかない。茫然とするしかなかった。その様子が目に浮かんでくる。確かな描写力だ。
 それにしても、『舞姫』の現代性には驚かされる。この作品で問題になっていることの多くは今でも解決されていない。人種差別の問題も貧困の問題も〈毒親〉の問題も、私たちはこの百三十年間何をしていたんだろう。誤魔化し誤魔化し、問題を先送りしてきただけじゃないのか。

コメント

  1. すいわ より:

    悲しいのは、少女が自分の母親よりも通りすがりの見知らぬ人の方が信頼出来る、という状況に立たされている事ですね。父の葬儀もままならない、差し迫った状況の中、身内からの理不尽な要求、藁にもすがる思いで豊太郎に助けを求めたのでしょう。それでも、誰でもよかったという訳ではないと思うのです。貧しい路地裏暮らし、種々雑多な人々の中で育ったであろう少女は人となりを見抜けるだけの力も自然、備わっていたのではないでしょうか。そして、ここにも父なき子が一人。自分も母子で育ってはいたけれど、母に対して全幅の信頼を置いていた豊太郎にとって、少女の母の仕打ちは衝撃的だったことでしょう。年は少女より遥かに上だけれど社会的経験値の低い豊太郎、彼女を救う事が出来るのでしょうか。
    それにしても鴎外の視点、100年を超えて私たちに問うてくるとは。動物図鑑に「ニンゲン」の項があったら「頭脳が発達している割に学ばない。強欲、ともすると親が子(の人生)を喰らうこともある」と書かれてしまいそう、、

    • 山川 信一 より:

      おっしゃるとおりです。少女は豊太郎に何かを感じたのでしょう。決して誰でもよかった訳ではありません。それが正しいかどうかは別にして、その人に特別な何かを感じることがあります。
      豊太郎は、少女が自分と同様に父を失っていることを知り、少女に一層哀れを感じたことでしょう。助けてあげたいという思いは殊更募ったはずです。父性が働いたのかもしれません。
      『舞姫』で鷗外が問題提起したり、批判したりしていることが今でも問題になっていることに驚かされます。少しはましになっているのでしょうか?

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