堪え得ざるが如き悲泣の声

 袁傪は叢に向って、懇《ねんご》ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。叢の中からは、又、堪《た》え得ざるが如き悲泣《ひきゅう》の声が洩《も》れた。袁傪も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出発した。
 一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺《なが》めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声|咆哮《ほうこう》したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。

 美鈴が最後になった。分担が三人に均等でよかった。
「「堪え得ざるが如き悲泣の声が洩れた。」とあるよね。これは、堪え切れなくて洩れたんだから、「慟哭の声」と同じでポーズじゃ無い。心の底からの悲しみだよね。何を悲しんでいるのだろう?」
「袁傪はもちろんのこと、もう二度と人間に会えないからじゃない?しかも、これからはどんどん虎になっていくんだし。」
「それはそうだよね。でも、何か別の訳もありそう。悲しみ方が尋常じゃない。」
「袁傪との再会で、自分の本性を思い知ったからじゃない?」
「本性って何よ。」
「つまり、人の評価を気にすることだよ。そのため、かっこつけなくては要られないんだ。とうとう、親友にさえ自分の真の姿を曝け出すことが出来なかった。そんな嘘で固めた、孤独で寂しい自分の人生を改めて感じたんだよ。」
「自分のプライドを守るため、最後まで悲劇の詩人を演じきらねばならなかった嘘で固めた人生かあ!惨めで且つ寂しいよね。これじゃあ、泣かずにいられないなあ。」
「「虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声|咆哮した」とあるけど、何を思って咆えたんだろう?ここでも月が出てくるね。」
「月は、やはり自分の姿だよ。他者の評価によってしか輝けない李徴の姿。それも、もはや存在感が薄れ、光を失っていくんだ。ああ、これが俺なんだって咆えたんだ。」
「まさに〈山の月〉のような人生だね。それで、『山月記』なんだ。」
「「再びその姿を見なかった。」は、ちょっと表現として気になるね。ここで、急に主語が変わっている。それまでは虎が主語だけど、省略されているけど、ここは人々が主語になっている。なぜこうしたんだろう?」
「もし、虎を主語にすると「再びその姿を見せなかった。」になる。でも、これだと、単に事実を述べているだけになってしまう。そこで、物語の終わりに相応しい形に変えたんじゃない。ちょっとした違和感が物語の最後に相応しい余韻を生み出している。」
 真に迫る内容だった。あたしは李徴になってはいけない。どうしたらいいのか考えてみる。それには自分を曝け出す勇気が要るよね。さて、どうする?

コメント

  1. すいわ より:

    山月記、、山、、!マウント取るって言葉ありますよね。李徴みたいな人、マウント取ってくる人って言いませんか?やたら自慢して独りよがりで他人を見下して。そのくせ実はそういう人に限って自信がなくて。この小説、随分昔に書かれたものだと思うのですが、人間の本性なんてそうそう変わらないものなのですね。
    李朝は腹を割って話せる人に巡り会えなかった事は不幸だったとは思います。でも、結局のところ、自分の事を引き受けられるのは自分しかいない。誰かのせいにしたところで李徴の人生は李徴にしか生きられない。ならば自分の価値を人に決めてもらうより、自分の良いところも、自分のダメなところも受け止めて、地層のように重なって厚みのある李徴になればよかったのだと思います。ウソのハリボテの李徴では所詮中身は空っぽですから。
    袁傪も袁傪なんですよね。ただ優しいだけっていうのは本当に優しいかというと、どうなんでしょう。自嘲癖のある事は知っていた、今更、涙の別れをするくらいなら、共に学んだ頃、「お前、そういうところ、どうなの?」って喧嘩の一つもすれば良かった。ぶつかり合う程の友情は持ち合わせていなかったのか。李徴も気分良くいられる、自分を否定しない相手だから友として一緒にいたのかも知れませんが。
    最後の「再びその姿を見なかった」、単に姿が見えなくなった、という事でなく、李徴という存在自体が、この一夜に起こった事も全て袁傪達の中から消えて無くなったかのように思えて、月の光よりも冷たい夢から醒めたような感覚をでした。「生きる」という映画のラストシーンを思い出しました。

    • 山川 信一 より:

      深い鑑賞ですね。優れた文学作品は、優れた鑑賞を生み出します。それが新たな作品の創造に繋がることもあります。
      すいわさんのコメントを読みそう感じました。
      あれほど自分を隠す李徴と袁傪との友情などなり立つはずもありません。傷つく勇気を欠く者に友情も幸せもありません。

  2. らん より:

    ああ、終わってしまいました。
    素晴らしい物語でした。
    李徴はどんどん虎になって人間だった頃の記憶は消えていくんですね。寂しいな、悲しいですね。
    再びその姿を見なかったは効果的な表現だなあと気に入りました。
    山の月。月はいつでも変わらずそこにいて照らしてくれてすべてを見ています。また、輝きの強さが一晩のなかでもピカピカの時やただ白い時があったりして、まるで李徴の人生のようでした。深い話でした。
    先生、たくさんのことを教えてくださり、ありがとうございました。
    また次も楽しみにしています。

    • 山川 信一 より:

      「輝きの強さが一晩のなかでもピカピカの時やただ白い時があったりして、まるで李徴の人生のようでした。」は、素敵な鑑賞ですね。
      こちらこそ、最後までお付き合いくださってありがとうございました。
      次の作品までしばらく準備の時間があります。また一緒に読んでください。

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