月に向かって咆える虎

己には最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、己の頭は日毎《ひごと》に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪《たま》らなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の巖《いわ》に上り、空谷《くうこく》に向って吼《ほ》える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処《あそこ》で月に向って咆《ほ》えた。誰かにこの苦しみが分って貰《もら》えないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯《ただ》、懼《おそ》れ、ひれ伏すばかり。山も樹《き》も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮《たけ》っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易《やす》い内心を誰も理解してくれなかったように。己の毛皮の濡《ぬ》れたのは、夜露のためばかりではない。

 あたしの番だ。何だか段々李徴と自分が重なってきて怖い。
「この場面は、嘆きが書かれている。これまでは、冷静に自己分析していたけれど、ここでは感情が爆発している。まず理性に訴えてから、今度は感情に訴えようとしているんだ。」
「なるほど、手順をしっかり踏んでいるね。まず頭に働きかけてから次に心に働きかけるんだ。そうしてみると、かなり計算尽くで話していることがわかるね。」
「「たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。」からどんなことがわかる?純子、どう?」
「自分がいかに詩に執着しているかをアピールしていることがわかります。」
「今でも優れた詩が書けると思っていることもわかる。李徴は自信家だよね。」
「そうかな?これって本心だろうか?本当に今でもいい詩が書けると思っているのかな?疑わしいね。むしろ、そう思っていると思ってもらいたいんじゃないのかな?」
「じゃあ、これもポーズ!いかにも李徴らしいね。」
「とにかく自分の悲劇性を認めてほしいんだ。だから、その姿を具体的に描写する。山の頂の巌から空谷に向かって咆える虎の姿をね。」
「だけど、いくら咆えても誰も自分の悲しみをわかってくれない、懼れるばかりだと言うんですね。」
「今の自分の悲しみを印象づけようとしているんだ。山の巌で月に向かって吠える虎って絵になるからね。この姿は繰り返し述べられている。」
「また「月」が出て来た。「月」に向かっても咆えているよね。なんで「月」に向かって咆えるんだろう?やはり、「月」は何かの象徴なんだろか?」
「「月」は手が届かないものだね。わかってくれない世間?いくら努力しても届かない理想?自分をこんな目に遭わせた創造主?」
「月はそれ自体では輝けないよね。そう思うと、生きていくには、常に誰かの評価が必要な李徴自身を象徴しているような気もしてくるね。」
「「月」については、この後も出てくるから、また考えてみよう。」
「「天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。」とあるけど、まさに内面に相応しい姿になったんだね。」
「「己の毛皮の濡《ぬ》れたのは、夜露のためばかりではない。」は、要するに涙で濡れたって言うんだよね。でもさ、少し芝居がかってはいない?この場面は、感情を剥き出しにして嘆いているように見えるけど、実は相手の反応を計算しながら演じているような気がする。」
 李徴はどこまでも悲劇の詩人でいたんだ。袁傪にそう認めてもらいたいんだ。でも、それは本当の姿じゃない。そのことは自分ではわかっている。なのに、そう思ってもらいたい。李徴に大切なのは、他者の評価であって、評価こそが「真実」なんだろう。いい評価が得られれば、それで満足なのだろう。でも、本当にそれでいいの?あたしも、誤解されていい評価をもらうことがある。そんな時、否定できないし、その方を信じたいって思うことがある。これって、同じことだよね。

コメント

  1. すいわ より:

    「どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。」だから袁傪、私の代わりに発表してくれるね?と。泣き落としですか?虎になった事すら利用して功名心を満たそうとしています。もし人間に戻ったとしたら、詩人にはなり得ない自分が露呈してしまう。嘆きつつも李徴は虎になるべくしてなったのかもしれません。獣たちだけでなく山も樹も月も露も全てが、世界が自分を拒絶するかのように言っているけれど、自分からアプローチする事はないのですよね。誰かが何かをしてくれるのを待っている。全て他人任せ。評価は良いにしろ悪いにしろその両方を受け止めてこそ自分の座標を定める事が出来るものと思うのですが、耳障りの良い言葉しか要らない「裸の王様」に真実の姿は見えないでしょう。

    • 山川 信一 より:

      すいわさんは、厳しいですね。きっと、李徴は最も許せないタイプの人間なのでしょう。そうあってはならないと生きてこられたのでしょう。
      すいわさんの人となりが想像されます。まさに読むとは、己を読むことに他なりません。読みにはその人が現れます。読書は自分を知るための最良の方法です。
      李徴の傍にこう言ってくれる誰かがいてくれたらよかったのに。母でもいいし、妻でもいい。李徴はそれに恵まれなかったのでしょう。

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