その後の老婆

 しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪を倒(さかさ)にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。

 あたしの番だ。ここは、エピローグだね。事件は既に終わっている。なのに、なぜ作者はこの場面を書き加えたのだろう。
「なんでその後の老婆について触れたのですか?」
「前の場面で余韻を残して終わってもよかった。言いたいことは既に述べているから。蛇足の感もあるよね。」
「作者は、読者の読解力や想像力に期待していなんじゃないかな?だから、くどいくらいに言わないと気が済まないのでは?」
「つまり、ダメ押しだね。」
「では、具体的に見ていきましょう。老婆の描写からわかることはありませんか?」
「老婆のしぶとさだね。何という生命力の強さだろう。老婆は簡単に死にそうにない。老婆はこれからもしぶとく生きていく気がする。」
「梯子の口から覗いたって、下人など見えるはずがない。そんなことはわかっているのに、行方を確かめなくてはいられない。そこから執念深さがわかる。」
「それはどんな効果を上げていますか?」
「下人との違いを強調する効果。」
「あんな優柔不断さじゃ、下人は到底生きていかれない。もしかすると、この先この羅生門に棄てられるかもしれない。でも、老婆はその時もしぶとく生きているよね。」
「白黒の対照が見られる。老婆の白髪頭は、無気味さを出すだけじゃなくて、対照的に黒を強調している。」
「下人は見通しが利かない真っ暗闇の中に消えていった。それを「黒洞々」という言い方で黒を強調している。」
「白は、老婆の生き方の明快さを表しているんじゃないかな?老婆が何してどうなるかは予想しやすい。老婆は自分の信念を変えない。一貫性がある。でも、下人はそうじゃない。これからどうなるのかは、状況次第で全くわからない。」
 この段落の内容は、言わば主題の確認だ。作者は、あくまでも、この作品を自分が意図したとおりに読んでほしいのだ。逆に言えば、それ以外の読み方はしてほしくないのだ。だから、周到に、くどいくらいにこの部分を書き添えたのだ。

コメント

  1. すいわ より:

    前の段で「夜の底へかけ下りた」、そして今回「黒洞々たる夜がある」と書かれています。死骸の中から這い出した老婆は魑魅魍魎の類かと思うような姿ですが、羅生門の楼の上の様子が今の世の現状。梯子の下へ下りない老婆はこの世界を受け止めてしたたかに生き抜く宣言をしているかのようです。着物を剥がれる事すら老婆にとっては些細な出来事、だから禍々しい闇ですらいつもの「夜」としたのかと思いました。ぶれない老婆は羅生門という場を占有し、自分の事を自分で定められない下人は下りたつもりで舞台から「下された」。黒い夜に老婆の白い髪が誘蛾灯のように揺れて、また下人のような優柔不断な無意思のものが羅生門へと誘われそうです。

    • 山川 信一 より:

      すいわさん独自の鑑賞ですね。芥川龍之介は「そうきたか」と思うことでしょう。
      作品は一度作者の手を離れれば、作者だけのものではありません。作者がどんなに拒んだとしても。
      作品をよく味わっています。

    • らん より:

      老婆の様子はホラー映画のようですね。怖いです。
      しぶとい様子がよくわかりました。
      老婆の白髪がとでも印象的です。下人がかけて行った黒い世界が引き立ちますね。

      • 山川 信一 より:

        なるほど、ここは映画的効果を狙ったとも言えますね。
        白と黒の対照が効果的で、作品の印象がずっと強まります。
        芥川龍之介は本当に周到に考え抜いていますね。

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