下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身の毛も太る」ように感じたのである。すると老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱をとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。
あたしの番だ。今日のところはすごく面白い。きっと、いろんな意見が出るはずだ。
「「六分の恐怖と四分の好奇心」とは何でしょうか?」
「これって、前に出ていた「ある感情」ことだね。ここでその正体が明らかにされた。」
「つまり、恐怖と好奇心が五分五分ではないんだ。いくぶんか、恐怖の方が好奇心を幾分か上廻っているということ。」
「手で顔を押さえながらも、指の間から見ている感じ。」
「この六四という割合がうまいよね。」
「あっ、あたしすごいことに気が付いちゃった。この六という数字だよ。今まで出て来た数字がこれで揃った。「一・二・三・四・五・六」そして、あの「七段」の「七」だよ。芥川は言葉遊びをしていたんだ。それも、それぞれの数字を無理にこじつけることなく。やたらに数字が多いなって思っていたけど、こういうことだったんだ。」
「ひえ~え。怖い!なんて頭がいいの。」
「また旧記が出て来たね。これは『今昔物語集』からだね。」
「「頭身の毛も太る」は、感じが出ているよね。全身の血が恐怖で頭に遡ってくる感じ。六分の恐怖の説明だね。下人は相当怖かったんだ。」
「下人は人を恐れていたからね。老婆にもこれだけ恐怖を感じたんだ。」
「「猿の親が猿の子の虱をとるように」という比喩からわかることはありませんか?」
「少し余裕が感じられる。冷静になっている。」
「行為を日常的な動作として捉えている。さっきの恐怖が薄れつつある。珍しいものを見ている感じ。」
「「髪は手に従って抜ける」とはどういう様子ですか?」
「髪の毛が楽に抜ける様子。腐敗が進んでいるんだね。」
「下人はその様子を細かいところまでしっかり見ているよね。何でこんなに子細に眺めることができたの?」
「それをしているのが小さな老婆で、気持ちに余裕が生まれたからだよ。つまり、自分よりも弱そうだったから。」
「なるほど、だから猿なんだ。猛獣じゃない。それでも、少しは怖いけどね。」
羅生門の石段を七段にしたのは、そんなわけがあったんだ。あたしたちがわかったことに、芥川が「わかったかね。」とニヤリとしている気がする。あの場面では、これ以上どうすることもできな所まで考えに考え詰めて、最後の踏ん切りがつかない精神状態だった。それを七段ある階段の一番上という位置が表していた。その一方で、言葉遊びをしていたとは、なんて人なの!
コメント
鳥肌が立って総毛立つ、頭の髪が逆立つ程の恐怖、想像がつきません。それでもあとの四割は好奇心という下人、目の前で繰り広げられる事態を好奇の目で眺めているのは自分に類が及ばないと踏んだからなのですね。
猿の毛繕いは本来、愛情を持って世話する姿として捉えられるのでしょうけれど、前段から続く老婆の様子、運び込まれた娘の骸を探し回って見つけ出し腕に抱いて、、ではない。髪を抜くとは狂気の沙汰です。他人事だからか、まんじりともせず眺めている下人の心に余裕が生まれる感覚も異常です。異常さの中に整数をちりばめて並べる作者。見事と感心する以上に唖然とします。
下人は非常に感情の起伏の激しい人のようです。それは一面小心者だからでしょう。事態を冷静に見るのではなく、感情が先行してしまいます。
だから、これほど怖がるのです。一方、好奇心も同居できるのは、相手が猿のような老婆だったからです。そのため、少し余裕が生まれました。
女の死骸から髪の毛を抜くことは、まさに恐怖と好奇心の対象だったのです。その異常さに、怖くもあるけれど、その理由を知りたくもなったのです。
6対4なんですか?私なら10対0で恐怖しかありません!
死人の髪の毛をプツプツ抜いてるなんて。もう恐怖です。
猿みたいな老婆でなくて、大男とがだったらまた下人の割合も変わってたでしょうね。
六対四なのは、その人物が猿のような老婆だったからです。
おっしゃるように大男だったら、十対ゼロだったかもしれません。
感情は、対象に左右されます。