下人、楼の梯子にふみかける

 下人は、頸をちぢめながら、山吹の汗袗(かざみ)に重ねた、紺の襖の肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の患のない、人目にかかる惧のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子が眼についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。下人はそこで、腰にさげた聖柄の太刀が鞘走らないように気をつけながら、藁草履をはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。

 若葉先輩に戻った。下人が動き出す。どんなことになるのかな?
「この段落の表現の特色を分析していこう。順を追って確かめながら。」
「まず、下人の行動が書いてある。動作と服装に注目している。山吹と紺の色の対照が目に浮かぶね。この作品は色を効果的に使っている。」
「読点が多いね。読点で区切ることで、その様子を整理して書いてある。お陰で内容が頭に入りやすい。これは、ここだけじゃないけど、この作品の特徴だね。内容を読者の心に刻みつけるように書いてある。」
「様子の次にその理由が述べられる。これは当然に思える。例の問題は先送りするしかなかったんだ。」
「「人目にかかる惧のない」と敢えて断っているのはなぜ?」
「悪いヤツに狙われる恐れがあるんだよ。当時の京都はすごく物騒だったから。死人より生きている人間の方がずっと怖いんだね。」
「「幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子が眼についた。」とあるけれど、なぜそれを「幸い」と言うのか?」
「下人がその時そう思ったから。だって、楼の上なら雨風が防げるし、人目にかからないから。」
「読者にも「幸い」と思わせるため。」
「なぜそう思わせる必要があったの?」
「だって、「人がいたにしても、どうせ死人ばかりである」とあるように、死体が棄てられてあるんだよ。そこに上がれる梯子が見つかったからと言って、普通はそう思わないんじゃない?だから、その異常な判断に疑問を挟ませないためだよ。「勿論」と同じ効果。」
「読者の心理を巧みに操っているんだ。」
「実際下人にとっては、死人の方がずっと安全だったんだね。」
「「腰にさげた聖柄の太刀が鞘走らないように気をつけながら」「藁草履をはいた足」はリアルな描写になっている。細部を描くことで真実味が出るんだ。どこをどう描写するかを巧みに計算している。」
「「その梯子の一番下の段へふみかけた。」について何か気づくことはない?」
「なぜその動作を書いたんだろう?不思議な気がする。」
「その動作に意味を感じさせるためでは?」
「羅生門は「狐狸が棲む。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。」とあるように、悪の巣窟と言ってもいい異常な場所。いよいよそこに入っていく。」
「下人はさっきまで七段ある石段の一番上に座っていた。そこで盗人になるかどうかを悩んでいた。つまり、悪の世界に入るかどうかを悩んでいた。すると、七段ある石段の一番上と言うのは、限りなく悪に近い位置を表しているんじゃないかな?そうか、考えに考え詰めてどうしても最後の一歩が踏み出せないという位置を象徴していたんだ。」
「七段の真ん中じゃないんだね。だから、一番上なんだ。つまり、限りなく悪に近い位置を表しているんだ。」
「そこからついに悪の世界に入っていく。ただし、自分の意志ではなく。」
 この作品は緊密な構成で作られている。ありとあらゆるところに伏線が張られている。油断がならない。でも、それを読み解くのが文学の面白さだね。

コメント

  1. すいわ より:

    「頸をちぢめながら」「肩を高くして」は「頸をすくめる」とは書かないのだなぁと思ったのですが、周囲を恐れながら伺う下人の様子は、亀が首を縮めて甲羅の中に身を隠す様にも似て、より警戒心の強さを表したかったのかと思い直しました。梯子にさえも丹が塗られた、かつては立派であったろう羅生門、一度事が起これば丹は剥がれみすぼらしい姿が露わに。下人も襖に包まれているけれど、その中身は襲ってくるものに見つかるのが怖いのか、それとも本当は自分の冒そうとする悪事を見咎められるのを畏れたものか。聖柄が鞘から外れないか気にしているけれども、太刀は守る為のものか、襲う為のものか。善悪のすれすれの境界にいる下人、梯子に足を掛けたその瞬間、彼の立ち位置は反転したように思います。沓でなく、藁草履を履いているあたり、下人は仕丁くらいの身分なのかと思ったのですが、そうだとすると、太刀を腰に下げているのが不似合いなような気もしました。暇を出された時に、こんな時世だからと主人から下げられたのかもしれませんね。

    • 山川 信一 より:

      「頸をちぢめながら」「肩を高くして」は、次の場面に繋がる比喩です。ここでは下人は無害で臆病な亀でした。ところが、次の場面では、警戒心と好奇心と小狡さと攻撃性が入り交じった猫に変わります。
      この作品では動物の比喩が効果的に使われています。これからも、注目して読んでいきましょうね。下人の履き物ですが、沓は実用的ではありません。それを履くような身分ではなかったのでしょう。
      聖柄の太刀を持っているのは、もしかすると護身用にと退職金代わりにもらったのかもしれませんね。あるいは、普段は警護の仕事をしていたのかもしれません。

  2. らん より:

    山吹と紺で色が見えました。
    腰に下げた聖柄の太刀はなんで持ってるんでしょうね。
    いよいよ、下人は亀から猫になるんですね。どうなるのでしょうか。
    ぞくぞくしますね。

    • 山川 信一 より:

      気持ちを入れて読んでいますね。
      色がとても効果的に使われています。これからも色に注目してください。
      何よりの姿勢です。表現を味わいながら読んでいきましょうね。

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