父と息子の会話

 父親が夕方の終バスで町へ出るので、独りで停留所まで送っていった。谷間はすでに日がかげって、雑魚を釣った川原では早くも河鹿が鳴き始めていた。村外れのつり橋を渡り終えると、父親はとって付けたように、
「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」
と言った。すると、なぜだか不意にしゃくり上げそうになって、とっさに、
「冬だら、ドライアイスもいらねべな。」
と言った。
「いや、そうでもなかべおん。」と、父親は首を横に振りながら言った。「冬は汽車のスチームがききすぎて、汗こ出るくらい暑いすけ。ドライアイスだら、夏どこでなくいるべおん。」
 それからまた、停留所まで黙って歩いた。

「村は谷間にあるから、夏でも夕暮れが早いのね。河鹿も鳴き始めて寂しい感じがする。別れの場面にふさわしい状況設定ね。」
「お墓参りをした日の夕方にはもう帰るんだ。ホントにたった一日半の休暇なんですね。それでも、往復一八時間も掛けて帰ってきたんだ。どれほど帰りたかったのかがわかります。」
「語り手が独りで送って行ったのはなぜ?どうして姉は行かないの?」
「前のシーンから姉の姿が消えている。これは、小説的効果を狙っているからじゃない?父親と語り手の世界に焦点を当てて描こうとしたからよ。」
「にしても、それが不自然に感じられないのはなぜ?全然技巧的じゃない。」
「姉の年齢の頃の父親との関係が微妙だからだよ。もう小さい頃のように父親にベタベタしなくなっているからね。」
「それに姉は、今父親を必要としているのは弟だってわかってるから、二人きりにしてあげたかったのよ。これは、姉の思いやりよね。」
「まだ盆の入りなのに父親は帰って行く。これじゃ、家族は寂しいよね。」
「父親はなんでとって付けたようなことを言ったのかな?」
「何か言うと、自分の寂しさや悲しさが息子に伝わってしまうからじゃないですか?」
「でも、言葉は心を容れる器だから、何を言っても心は伝わってしまう。」
「だから、語り手に別れの悲しみがこみ上げて来たのね。」
「でも、ここで泣くのは恥ずかしくて、話題を逸らして誤魔化そうとする。だから、どうでもいいようなことを言ったのね。」
「父親もその気持ちがわかって、話題の内容に真面目に答えるんだ。」
「だけど、またすぐに話すことがなくなって黙って歩くしかなくなる。」
 父も息子もお互いに肝心なことを言わない。いや、言えない。言えば、泣いてしまいそうだから。だから、自分の気持ちから目を逸らす。それでも、こみ上げてくる感情がある。もはや黙るしかない。二人の気持ちがすごくよくわかるなあ。

コメント

  1. すいわ より:

    東京で働くお父さん、盆暮れくらいしか地元に帰れない事考えると、一年のうち家族と過ごせる時間、何日あることか。やっとの思いで帰って来ても、またすぐに東京へ戻らねばならない。何か話そうとすると「寂しい」の言葉が口をついて溢れでてしまいそうです。でも、それを言ってしまったらお互いに離れ難くなってしまう。だから黙るしかない。夕暮れと河鹿の声が二人の気持ちにベールを掛けて本心を隠してくれているようです。
    「冬だら、ドライアイスもいらねべな。」また、えびフライを土産に持ってきてもらう前提ですね。どんなに嬉しいお土産だったか、お父さんに伝わったことでしょう。前回書きそびれましたが、亡くなったお母さん、苦労はされたけれど、コスモスやききょうの似合う穏やかな人で、いつもふわりと微笑んでいるような印象を持ちました。苦労で眉間にしわが寄っている、という表情が思い浮かびませんでした。子供達の素直さが温かで和やかな家族であることを窺わせます。

    • 山川 信一 より:

      言葉は心を容れる器です。二人とも心には思いがいっぱいです。何を話しても互いの心から溢れだしてしまいそうです。
      黙るしかありません。それでも十分伝わっています。悲しい別れのシーンですね。
      私もお母さんはそんな方だと思います。きっと理想的な家庭だったのではないでしょうか。父親が出稼ぎに行くまでは・・・。

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