幸せな食事

 揚げたてのえびフライは、口の中に入れると、しゃおっ、というような音を立てた。かむと、緻密な肉の中で前歯がかすかにきしむような、いい歯ごたえで、この辺りでくるみ味といっているえもいわれないうまさが口の中に広がった。
 二尾も一度に食ってしまうのは惜しいような気がしたが、明日からは盆で、精進しなければならない。最初は、自分のだけ先になくならないように、横目で姉を見ながら調子を合わせて食っていたが、二尾目になると、それも忘れてしまった。
 不意に、祖母がむせてせき込んだ。姉が背中をたたいてやると、小皿にえびのしっぽを吐き出した。
「歯がねえのに、しっぽは無理だえなあ、婆っちゃ。えびは、しっぽを残すのせ。」
と、父親が苦笑いして言った。
 そんなら、食う前にそう教えてくれればよかった。姉の皿を見ると、やはりしっぽは見当たらなかった。姉もこちらの皿を見ていた。顔を見合わせて、首をすくめた。
「歯があれば、しっぽもうめえや。」
 姉がだれにともなくそう言うので、
「んだ。うめえ。」
と同調して、その勢いで二尾目のしっぽも口の中に入れた。
 父親の皿には、さすがにしっぽは残っていたが、案の定、焼いた雑魚はもうあらかたなくなっていた。

「「しゃおっ」というオノマトペがいいね。まさにえびフライを食べるときの音だね。いい具合に揚がったんだね。」
「「かむと、緻密な肉の中で前歯がかすかにきしむような、いい歯ごたえで」も上手い。これ以上の表現で描写することができないくらい。」
「ああ、えびフライが食べたい!」
「「くるみ味」ってあるけど、木の実のクルミからきた語よね。この地方ではクルミが美味しいものの代表的なものだったんじゃない?少なくともそういう時代にできた語だわ。」
「じゃあ、余り美味しいものがなかったんだね。じゃあ、えびフライはとびっきり美味しかったろうなあ。」
「「二尾も、一度に食べるのは惜しい」からもどれだけ美味しいかがわかるね。」
「横目で姉を見ながらはわかるなあ。自分だけ無くなるのは嫌だからね。でも、二尾目になるとそれさえも忘れてしまうほど、美味しかったんだね。」
「わたしもえびフライが好きだけど、きっとこれほどは美味しく感じないだろうな。美味しさは味だけじゃ決まらない。誰とどこでどんな風に食べるかによるのよ。父親が苦労して、盆土産に持ってきてくれた。それを父親が揚げてくれた。家族そろって食べる。これが美味しさを作り出しているのよ。」
「どんな高級な食事でも、親が共働きで子ども一人で食べるんじゃ美味しいとは思えないと思う。実は、うちの親がそうなんだ。夕食はたいてい一人・・・。」
「そうなのね。何を大事にすべきか、見極めないとね。」
「祖母が尻尾を食べてむせってしまう。「うめもんぜ」と言っていたけど、やはり食べたことがなかったんだね。」
「父親がしっぽは残すもんだと言ったのに、姉はしっぽを食べてしまった誤りを認めない。なぜかな?」
「弟と同レベルだと思われたくなかったから?自分の意志で食べたんだと言いたかった。」
「それもあるけど、それだけじゃない。父親への感謝の気持ちからだよ。父親の盆土産はそれくらい美味しいって伝えたかったんだよ。」
「その気持ちがわかったから、語り手も「んだ、うめえ。」って同調したんだね。」
「父親は雑魚を殆ど食べてしまった。父っちゃのだしは取れなくなったね。どうするんだろう?また疑問が生まれた。」
 美味しさって、食べ物の味だけでは決まらないんだね。誰と食べるかがもっと重要。若葉先輩は、夕食は一人で食事するんだ。それじゃ、美味しくないよね。食事は、単なる栄養補給じゃない。人と人とが繋がる大事な営みなんだ。

コメント

  1. すいわ より:

    給食の鯖のフライは食べた事があったのでした。でも、勿論揚げたてではない。衣の香ばしい匂い、カリッとした初めての食感、続いて魚とは違う弾力のある身に前歯が沈んでいく感触。美味しかった事でしょう。読んでいる人、皆、えびフライを想像して食べたくなる描写です。最上の味を「くるみ味」というのがなんとも言えません。雪に閉ざされ食糧が枯渇するような寒冷地では、クルミは保存が効いて油脂分の熱量の高い食品として古くから愛され、多用されます。ここが厳しい環境である事を想像させます。
    えびの尻尾をめぐるやり取りが微笑ましい。お婆さんもお姉さんも、えびフライを知らなかった事がバレてしまう。でも、そんな些末な事よりも、お父さんと一緒に家族で囲む食卓の温かさは、冷凍食品のえびフライを何処の一流レストランにも勝るご馳走にしたのですね。

    • 山川 信一 より:

      「歯があれば、しっぽもうめえや。」と言った姉の気持ちを推し量れば、こうでしょう。「父っちゃが盆土産に持ってきてくれた特別なえびフライなんだから、しっぽもうめいや。残せるわけね!」
      姉はえびフライがどんなに美味しいかを父親に伝えているのです。言葉と心とはずれているのが普通です。ただし、それでも伝わるのが言葉の不思議さです。
      高度経済成長期は、家族からお父さんと一種に食卓を囲む幸せを奪っていったのです。田舎でも都会でも。そして、それは一部で今も続いています。

  2. らん より:

    しゃおっという音が最高ですね。
    エビフライ、食べたくてたまらないです。
    雑魚の出汁がとれなくなりました。
    どうなるのかなあとすごく気になります。

    • 山川 信一 より:

      経験を言葉で再現するのは簡単ではありません。一種の発見です。よく「しゃおっ」という音を見つけましたね。
      短歌や俳句もこうした表現を重視しますが、まず散文で写し取る練習をした方がいいかもしれません。言葉によるデッサンです。
      お父さんは、雑魚を食うことで故郷の味を堪能したかったのですね。そばを食えないとわかっていたので。

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