対抗心

 午後遅く、裏の谷川のよどみに漬けておいたビールを引き揚げて戻ってくると、隣の喜作が独りで畦道をふらついていた。隣でも父親が帰ったとみえて、真新しい、派手な色の横縞のTシャツをぎごちなく着て、腰には何連発かの細長い花火の筒を二本、刀のように差していた。
「父っちゃ、帰ったてな?」
 喜作は一級上の四年生だが、偉そうに腕組みをしてこちらのぬれたビールをじろじろ見ながらそう言うので、
「んだ。」
とうなずいてから、土産は何かときかれる前に、
「えびフライ。」
と言った。
 喜作は気勢をそがれたように、口を開けたままきょとんとしていた。
「……なんどえ?」
「えびフライ。」
「……えびフライって、何せ。」
 それが知りたければ家に来てみろ。そう言いたかったが、見せるだけでももったいないのに、ついでに一口と言われるのが怖くて、
「なんでもねっす。」
と通り過ぎた。


「ビールを谷川で冷やすんだね。もちろん冷蔵庫がないから。えびフライはどうしたんだろう。大丈夫なのかな?ドライアイスはまだ保つのかな?」
「きっと、家のどこかに少しは温度を保てる場所があるのよ。そういう工夫はされているはずだわ。」
「冷凍食品などあり得ない生活だものね。でも、きっといろんな生きる知恵があったと思う。」
「隣の喜作だけど、名前がいかにも農家って感じだね。「作」だもの。この土地は農業で成り立っていたんだよ。」
「独り畦道をふらついていたのは、自分への盆土産を自慢する相手を探していたのかな。」
「派手な色のTシャツと花火、きっとこういうのが普通の盆土産だったのね。」
「お土産を見せびらかす様子がいかにもって感じだなあ。」
「村全体の父親が東京に働きに行っている。狭い村なので、誰が帰ってきたかがすぐ伝わるんだ。」
「「喜作は一級上の四年生」とあるから、語り手は三年生だったのね。姉とは少なくとも四つ違い。なるほど、姉が子ども扱いするのも納得。」
「喜作は対抗心丸出しだね。自慢したくてたまらない。コイツは優越感を感じたいんだよ。」
「それに対して、語り手は喜作の挑発に乗りたくないので、機先を制する。」
「聞いたこともない言葉を聞いてびっくりする喜作の表情が目に浮かびます。」
「でも、なぜそうしたんだろう。」
「えびフライが盆土産だと言うことを理解させるのが難しいからかな?」
「語り手にも対抗心がある。それは父親への愛情の一面でもある。うちの父っちゃはこんなに家族思いなんだって、自慢したい。だから、えびフライを馬鹿にされたくない。もちろん、食べさせることなどとんでもない。」
「喜作を上手く交わしたわね。」
 語り手の微妙な心理が上手く表現できている。えびフライは、盆土産の自慢の基準になりにくい。語り手自身、盆土産としてえびフライをどう評価していいかわからない。だから、喜作と同じ土俵にのぼりたくない。だから、はぐらかしたんだ。

コメント

  1. らん より:

    この村のお父さんたちはみんな出稼ぎに出ているのですね。
    お父さんが盆正月に帰ってくることが家族はとても楽しみですね。
    お父さんは道中長くて疲れるけれど、家族にお土産を持って家族とつかのまの団欒を楽しみにきて、あとすぐにとんぼ帰りなんだろうなあ。
    出稼ぎは家族をバラバラにするつらいことだなあと思いました。

    地元になにか産業を誘致するときに「もう出稼ぎいかなくて大丈夫ですよ」と言われたら、きっと、どんな産業でもこの言葉でみんな賛成しますよね。殺し文句だなあと思いました。

    • 山川 信一 より:

      その通りですね。出稼ぎは、家族をバラバラにします。家族から幸福を奪っていきます。
      そこに「もう出稼ぎに出なくていいから。」という甘い言葉が囁かれ、原子力発電所が造られていきました。安全神話と共に・・・。
      あの原発事故の原点がここにあります。

  2. すいわ より:

    待ち焦がれたお父さんの帰りを自慢したい、でも、お父さんに関わるほんのひとかけらでも、他人に渡したくない。見せびらかすように派手なTシャツを着た相手に、謎の「えびフライ」はかえって効果的な牽制となりました。
    語り手の父親のハンチング帽しかり、喜作の父親が選んできた派手なTシャツも地元の景色にはとてもそぐわない、馴染みようのない異質なもの。目新しい都会のものに子供たちは喜び、都会に憧れるようになるのでしょうけれど、「ここにしかないもの」にその場にいると気付かない。
    お父さんは父っちゃのだしで食べる蕎麦を楽しみにしていましたね。農業で成り立っている土地なのでしょうけれど、肥沃な土地では無さそうです。貧しい農村。豊かではなくても家族が寄り添う幸せには満ちています。お金、物質の豊かさで幸せは計れません。その事をお父さんの似合わないハンチング帽や派手なTシャツが象徴しているように思えます。

    • 山川 信一 より:

      「派手なTシャツ」「薄い空色のハンチング」は、違和感を象徴していますね。
      この土地に馴染まないものを、そして、そもそも幸せというものに馴染まないものを。
      しかも、子どもたちは都会に無用の、いえ有害な憧れを抱くようになります。
      東京一極集中が始まります。これがこの国の政策によってなされました。

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