会いに来たわけ

「おいしいですね、このオムレツは。」
 ルロイ修道士も右の親指を立てた。わたしは、はてなと心の中で首をかしげた。おいしいと言うわりには、ルロイ修道士に食欲がない。ラグビーのボールを押し潰したようなかっこうのプレーンオムレツは、空気を入れればそのままグラウンドに持ち出せそうである。ルロイ修道士はナイフとフォークを動かしているだけで、オムレツをちっとも口へ運んではいないのだ。
「それよりも、わたしはあなたをぶったりはしませんでしたか。あなたにひどい仕打ちをしませんでしたか、もし、していたなら、謝りたい。」
「一度だけ、ぶたれました。」
 ルロイ修道士の、両手の人さし指をせわしく交差させ、打ちつけている姿が脳裏に浮かぶ。これは危険信号だった。この指の動きでルロイ修道士は、「おまえは悪い子だ。」とどなっているのだ。そして次には、きっと 平手打ち が飛ぶ。ルロイ修道士の平手打ちは痛かった。
「やはりぶちましたか。」
ルロイ修道士は悲しそうな表情になって、ナプキンを折り畳む。食事はもうおしまいなのだろうか。


「ここでも、指で会話している。指言葉もいいね。言葉の足りないことを補ってくれるみたい。」
「ラグビーボールになぞらえたオムレツの描写は、ルロイ修道士がオムレツを食べていないので、少しも変形していないことを言っているのね。」
「ルロイ修道士は、食べるふりをしているだけ。」
「食事は口実で、実は、自分がかつてしたひどい仕打ちをしたかどうかを聞くためだったんだ。」
「それについて謝りたいんですね。「わたし」のところにやって来たのは、そのためだったんですね。」
「ルロイ修道士は、「やはりぶちましたか。」と言っているから、「わたし」をぶったことを覚えていたから、「わたし」に会いに来たのね。」
「でも、なんでわざわざ謝りに来たの?そんなに後悔していたのかな?普通、そんなことをする先生なんていないから。」
「この段階では不思議よね。この小説は、こうした小さな疑問を持たせるようにして展開しているのよ。」
「ここでも指のことを書いている。「両手の人さし指をせわしく交差させ、打ちつけている」とある。こんな感じかな?要するに、ぶつまえに合図を送るんだ。でも、怒鳴ったりはしない。そして、平手打ちをする。これがルロイ修道士のやり方だったんだね。」
「頭を殴ったりはしない。ぶつにしても、やり方を考えているんですね。」
「それでも、ルロイ修道士の大きな手でぶたれるのは痛かっただろうな。」
「ぶったことを確認すると、食事を止めてしまう。もともと、食事は口実だったからね。」
「ぶった子を選んで謝ろうと回っていたんだね。」
「ルロイ修道士が哀しそうな表情になったのはなぜかな?」
「理由は何にせよ、体罰をしたからだよ。それを悔やんでいるんだ。」
「カトリックは少なくとも昔は体罰を認めていたんじゃないかな。プロテスタントでも、宗派によっては認めていた。だから、教義からすれば問題になるものじゃない。」
「とすると、これはルロイ修道士の個人の思いなんだね。」
 ルロイ修道士が感情的になって闇雲に誰彼なくぶったりしたとは考えにくい。「わたし」は、よほど悪いことをしたんだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    ルロイ修道士、食事が口実だったにしても、あんなに食べ物を大切に扱っていた人が、自分で注文した食べ物を手付かずのまま残すでしょうか。食べないのには訳がありそうです。食べないのではなく、食べられない、とか。ルロイ修道士の事だから、教義上問題が無くとも子供達に手を上げるのは、かなり稀な事だったと思います。忘れるはずがない。「あの時はすまなかった」ではなく、「やはりぶちましたか。」、、オムレツのこともそうですが今回、ルロイ修道士の言動、不自然なことだらけです。自分の意思でした事を「覚えている間に」償いをなさろうとしているように見えなくもない。今回思ったのですが、ルロイ修道士、達者な日本語をお話しになるけれど、レストランで大人の「わたし」に忠告する時は大人相手としての話ぶりですが、回想の中や過去に思いを巡らせる時、「」の中がほぼひらがなになっていて、あぁ、母国語でこの人は話していないのだった、と字面を見て思いました。

    • 山川 信一 より:

      不自然さを感じさせるのが作者の意図なのでしょう。
      漢語が多いところと、ひらがなが多いところの違いは、強気なのか弱気なのかの違いではないでしょうか?
      日本語はルロイ修道士の母語でないことをここで敢えて言う必要は感じられません。

  2. らん より:

    この場面のルロイ修道士の気持ちになって考えて見ました。
    私も「やはりぶちましたか」と私もつぶやいてしまいました。

    ルロイ修道士はきっと、ぶったとは思うけれど、もしかしたらぶってないかも、思い違いかもしれないという期待をしていたのかなと思いました。
    でも、やっぱりぶったよね、そうだよね、思い違いではなかったね、事実だったねという思いのつぶやきかなあと思いました。

    • 山川 信一 より:

      「やはりぶちましたか」には、後悔と悲しみが感じられますね。
      記憶違いであってくれればよかったのにという。

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