先生の話

 誠先生がいつの間にか傍で話を聞いていた。そして、こんな話をしてくれた。
「島田さんはよく「メロスほどの男」という表現に注目しましたね。これは明らかにメロスを肯定的に受け止めてもらいたい作者の意志の表れです。作者は、権威にひるむことなく立ち向かう勇気をこう評価したのです。ただし、それは同時にディオニスが言うように「仕方のない」行為でもありました。無茶・向こう見ず・無鉄砲・無計画・思いつき・思い込みでもあるからです。まともな教師ならメロスの行動を道徳的だとは考えません。本来、行動は次のようになされるべきです。⑴目的を知る。⑵それを取り巻く条件を知る。⑶その条件下で可能な方法を知る。⑷その中で最も有効な方法を知る。⑸その方法を実行しながらどう修正すべきかを知る。つまり、行動とは「知る」ことが大前提なのです。ところが、メロスは⑴~⑸の何を知っていたのでしょうか?メロスの行動はダメな見本です。もし、これを道徳的に正しいと教える教師がいたら、無責任であり偽善です。
 恐らく作者にもそんなことはわかっていたはずです。それでも、作者はメロスを評価したいのです。と言うのは、日本社会では、失敗が許さず、いかにミスをしないかが求められるからです。その典型が役人や銀行員です。一度でもしくじれば、出世はないと言われています。だから、失敗するようなことには決して手を出しません。もっとも、これは、社会に出る前からそうですね。テストではいかにミスをしないかが問われます。教育がそういう人間を育てています。日本社会はこうしてできあがっています。テレビドラマに『ドクターX大門未知子』という人気番組がありました。大門未知子の決め台詞は「私、失敗しないので」でした。外科医ですから、失敗されては困ります。誰しもがこうでなければなりません。しかし、大門未知子の場合は、誰もが尻込んでしまう困難な手術に対して、「私、失敗しないので」と言って、成功させるのです。決して守りに入っていません。失敗しないために守りに入るのとは違います。しかし、世の中の多くの人はそうではありません。失敗を避けて、決して冒険はしません。失敗して評価を下げることはしません。しかし、こういう人間には世の中を変えることはできません。言わば、暴君ディオニスの言うがままです。しかし、メロスは勇敢にも立ち向かっていきました。欠点だらけで人に迷惑ばかりかけているダメ男でもいいところはあるのです。作者は、それを言いたいのではないでしょうか。これは世の中の失敗を恐れて何もしようとしない人間に対する批判です。だから、大門未知子は人気がありました。彼女はメロスに通じるところがあります。これも、この作品のテーマの一つですね。」
 先生があたしの読みを評価してくれた。うれしい。あたしも進歩してきたんだなあ。『走れメロス』は、社会批判でもあるんだね。

コメント

  1. すいわ より:

    大人しく、優しく、当たり障りなく、はみ出さず。ただ何となく皆と同じ方に歩いてさえいれば食うに困る事なく安全でいられる。「従順な羊」でいるのは楽です、落ちるまでは。行く手に崖があるかどうか自分で確かめる事もせず、群れから離れなければ大丈夫という不確かな安心の中、襲われないよう群れの内側へ内側へ入ろうとして身動きできなくなる。絶滅してもういない狼に怯えて自分で作った透明な檻の中で賢者の仮面を被った羊は食われる夢を見るのでしょうか。
    大門未知子を知りませんが彼女の「失敗しない」には自らに対する覚悟と相手に対する責任があります。傷付きたくないから傷付けないと言った自己保護のエゴとは訳が違う。太宰は賢者の仮面を被るのに疲れて、敢えて道化の仮面を着けて愚か者を陽気に演じて、それでも仮面の下の泣き顔に気付く人を待ち望んでいたのではないでしょうか。羊だって、食われるのをただ待つだけでなく、突進して狼の顎を砕く事は出来るのです。メロスのように、ね?

    • 山川 信一 より:

      いつも思いのいっぱい詰まったコメントをありがとうございます。さて、お返事は、内容ではなく、表現法について少々感想を申し上げます。このコメントには、「羊」と「狼」の比喩が出て来ます。それを使った目的は、恐らく自己の主張をよりわかりやすく鮮明にするためでしょう。しかしながら、その効果があまりありません。と言うよりも、この比喩によって、かえって主張が不鮮明になっています。なぜかと言うと、現代日本人にとって「羊」も「狼」も具体的な存在ではないからです。それにたとえられても、わかりやすくなるどころか、混乱してしまいます。読み手がよく知らないものにたとえられるのですからです。これなら、ストレートに言った方がずっといい。比喩は便利ですが、その効果を慎重に考えて使うべきです。イメージ先行で安易に用いるのは危険です。老婆心ながら、今後のご参考まで。

  2. すいわ より:

    ありがとうございます。すぐにバレてしまいました。今回、難しくて、考え過ぎて書けませんでした。もう一度整理して書いてみようと思います。

    • 山川 信一 より:

      少し厳しいことを言いました。でも、すいわさんは、知的レベルの高い方なので、わかってもらえると思いました。
      比喩の危険性についてもう一言、言いますね。たとえばAを羊にたとえます。Bを狼にたとえます。そして、AとBの関係を、羊と狼の関係から説明します。
      でも、この二つの関係は同じではありませんよね。こうした間違いは、結構一般的なのです。比喩は慎重に使いたいものです。

  3. なつはよる より:

    先生、私は、高校生の人気参考書ランキングの上位に上がるものが、好きになれず、ほとんど使いませんでした。特に理系の科目です。ああしろ、こうしろ。必ずこの図を書け。この数値を確認して、どの公式を使うか決めろ。などと、命令ばっかりして、全然自由にやらせてくれないのです。そして、その理由が全然書いてありません。少し自分なりにやってみて初めて、どうしてその本がそういう風に命令するのか、なぜ最初にその数値を確認した方がいいのかなどがわかってきます。

    メールで、ほかの解き方がしたいと質問をしたことがあるのですが、「あなたは物理を専攻したいのですか? それならかまいませんが、もしそうでないなら、とにかく参考書の通り解法を覚えて、さっさとほかの科目をしっかりやった方がいいですよ。」とお返事をいただきました。全部暗記で済ませて、つまらなくはないのだろうか?と思ってしまいました。

    間違えたり失敗したりして時間がかかったりしても、もっと自由にやらせてほしいです。その方が楽しいし、将来につながると思います。みんな勉強するときに入試を意識しすぎだと思います。それはやっぱり絶対に失敗してはいけないという空気があるからではないでしょうか?

    • 山川 信一 より:

      「~のため」にばかり意識する生き方をする人を「ため人間」と言ったことがあります。それ自体を味わえません。生きていてつまんないでしょうね。
      便利なこと、時間が掛からないことが一番だと思いがちですが、そうでもありません。たとえば、食事。宅配で取る方がお金も時間を節約できます。
      けれど、その余った時間で何をするのでしょうか?食事を作った方がずっと楽しかったりします。「不便益」を研究されている方もいます。

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