メロスが激怒した理由

 歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈だが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「王様は、人を殺します。」
「なぜ殺すのだ。」
「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」
「たくさんの人を殺したのか。」
「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」
「おどろいた。国王は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」
 聞いて、メロスは激怒した。「呆れた王だ。生かして置けぬ。」

 今回は、若葉先輩の番だ。若葉先輩は高校生になってから、ますます大人っぽくなってきた。髪もパーマをかけている。少しぶっきらぼうに話し始めた。
「メロスが市の異常に気づき、その訳を探ろうとする。市がすっかり暗い雰囲気に変わってしまっていたからね。人に聞いてもなかなか訳を教えてくれない。やっと老爺が答えてくれる。王の悪口を言うと、殺されるかもしれないからだと。殺されたのは、初めは、身近な人間だけだったけれど、ついには人民にも及ぶ。人が信じられなくなってしまったからだと言う。それを聞いて、メロスが激怒した。ここでようやく激怒した理由が明らかになって、書き出しの時間に戻るんだよね。読者をここまで引っ張ってきて、読者が気がついたら既に物語の世界に入り込まれているという仕掛なんだ。で、メロスの人物像だけど、単純で短絡的、無鉄砲かな。人を信じやすい。思ったことをすぐにやろうとする。正義感には、溢れているけど、自信過剰でもあるね。自分が思いさえすれば、できると思っている。世間知らずというか、お馬鹿さんというか、そんな人物だね。表現の工夫としては、メロスと老爺の会話かな。老爺は敬語を使っているのに、メロスは使っていない。メロスの興奮を表そうとしているんじゃないかな?で、テーマは、人をすぐに信じて、自己本位の判断をすると、ろくなことにならないぞってことかな?まだ先のことはわからないけど、ここまでならそうじゃないかな?」
「王が人を殺すようになった理由は何だったんですか?」と美鈴が聞く。
「最初は娘婿、次にお世継ぎってあるから、多分王位継承争いだよね。自分の地位が狙われていると思って、疑心暗鬼になって、それが段々エスカレートしていく。一人殺すごとに抵抗感がなくなっていったんだ。同時に、ますます人が信じられなくなっていくんだ。」と若葉先輩が答えた。
「まるで、領土を拡大する国家みたいね。いつ侵略されるのか怖くて、先に支配しようとする・・・。人も国も変わりがないのかな。」と真登香班長と話を広げた。
「それにしても、メロスは無鉄砲ね。思ったことがそのまま実現できると思っているところが、子どもと言うか世間知らずと言うか。村の牧人で羊を相手に暮らしてきたからこうなのね、きっと。」とあたし。
「あのう、「生かして置けぬ。」って、「生かして置けない。」じゃないんですね。」と美鈴が聞く。
「こういう言い方を文語って言うんだよ。古文で習ったよね。前回「邪知暴虐」という四字熟語みたいな難しい言葉(漢語)が出て来たけど、ここでは文語を使っているんだよ。ここは、メロスの決意の固さを表しているんじゃないかな?いずれにしても、言葉を効果的に使っているんだ。」と若葉先輩が説明した。
 メロスのような男はちょっと困るなあ。友達や恋人にはしたくない。命知らず過ぎるよ。それにしても、太宰治は表現力があるなあ。

コメント

  1. すいわ より:

    若葉先輩の言うように、メロスは短慮で向こう見ずな感が否めません。自信過剰というのはどうなのでしょう?自信というよりも動物的感覚で危機を脱するための行動を持ち前の瞬間沸騰力で突破して行こうとしているように思います。周りが見えず己の感情優先の様子が先輩の言うように老爺との会話、言葉遣いに現れていますね。老爺の態度、メロスの語勢に臆したというより、恐怖に支配される事で権力に抗うことを諦め蹂躙されることに慣らされてしまった人のそれで、「…今日は六人殺されました」という所に昨日も、明日もあるであろう恐れが滲み出ています。たかが2年であの陽気だった街の様子が一変してしまっている、、(でも、一夜にして国の有り様が変わってしまうこともありますね)
    怒るメロス、「生かして置けぬ」。あら?立場が変わったら殺す側になっていいのかしら。

    • 山川 信一 より:

      メロスは自分の考える正義が正しいと思っています。老爺が嘘をついているなどと疑いもしません。判断力にも自信があります。
      暴君を殺すことも「正しい」と信じています。つまり、自分に絶対の自信があるのです。自分を疑うことはありません。若葉さんは、それを自信過剰と言いました。

  2. なつはよる より:

    実は、ここを読み始めたのはずいぶん前だったのですが、その間に、身近な人が振り込め詐欺にあうという経験をしました。そういう悪い人がいるというのは、当然知ってはいましたが、「ああ、本当にいるのだ」というのは、大変なショックでした。そして、犯罪はたった一本の電話で、あっという間で、私だけでなく、誰もその人を助けられなかったことにも、大きな悔いがあります。

    その人は、クリックした瞬間に詐欺だと気がついたそうです。でも、その一瞬で、お金を奪い取られてしまいました。警察に行っても、犯人が捕まるわけでもなく、お金が返ってくるわけでもなく、「気をつけてくださいね。」と言われるだけだったというのも、やり場のない気持ちになりました。

    中二でメロスを読んだときには、あまり感動しませんでした。その時は、まだ、人を信じることはあまりに当たり前でした。今、メロスの物語がとてもまぶしく見えてしまいます。そんな自分にちょっとがっかりしています。

    • 山川 信一 より:

      災難でしたね。お気の毒です。警察も取り合わないんですね。これはこれで問題です。
      詐欺は日常化しています。我が家にも毎日怪しい電話が掛かってきます。それを専門に仕事としている人がいるのでしょう。
      方法を考える人、電話を掛ける人、お金を受け取る人など分業化されています。ほとんど会社です。一回やって終わりという訳ではありません。
      彼らにやり甲斐や生き甲斐はあるのでしょうか?良心は麻痺してしまったのでしょうか?そちらの方が心配です。

    • すいわ より:

      なつはよるさん、ごきげんよう。貴女のコメントが上がっていて私もメロス、再読始めました。かつて自分が思いつきで書いたコメントが赤面ものですが、改めて読んでみて、どこから読み始めても面白く読める事に気づきました(先生、凄いなぁ)。
      なつはよるさん、貴女は「人の痛みを自分の痛みとして感じられる、メロスの物語が眩しく見える」素敵な人なのですね。汎用システムや匿名性を悪用する人こそガッカリな人です。貴女はガッカリな人ではありませんよ。システムの利用の仕方は選べるのです。これから先、貴女にお目にかかれる事はきっとないでしょう、でも、私は貴女とここで一緒に学べてとても嬉しい。嬉しいです。ここで学んで悪意に負けない賢さを身に付けちゃいましょうね。

  3. なつはよる より:

    すいわさん、返信遅くなってごめんなさい。とても温かい励ましのお言葉を、ありがとうございます!! ご一緒させていただけてうれしいのは、私の方です。リアルでお目にかからせていただけなくても、ここでクラスメートとして心を通わせていただけること、本当にうれしく思っています。ありがとうございます。
    山川先生とも、在学中はせっかくお授業をいただいているのに発言も全然しませんでしたし、よほどの用事がない限り、こんな風に直接お話をさせていただけるなど、考えてもみませんでした。本当にどうもありがとうございます。

    • 山川 信一 より:

      お二人の出会いの場になって幸いです。
      授業中の発言は、もう過去のことです。今思うように生きることが重要です。

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