忍び込む

 エーミールがこの不思議なちょうをもっているということを聞くと、僕は、すっかり興奮してしまって、それが見られるときの来るのが待ちきれなくなった。食後、外出ができるようになると、すぐ僕は、中庭を越えて、隣の家の四階へ上がっていった。そこに、例の先生の息子は、小さいながら自分だけの部屋をもっていた。それが、僕にはどのくらいうらやましかったかわからない。途中で、僕は、だれにも会わなかった。上にたどり着いて、部屋の戸をノックしたが、返事がなかった。エーミールはいなかったのだ。ドアのハンドルを回してみると、入り口は開いていることがわかった。

「相当興奮したんだね。「僕」はエーミールが嫌いなはず。それを忘れて、訪ねていくほどだから。」と明美班長が始めた。
「写真で見たことがあれけど、ドイツの家は数珠つなぎになっているみたいだね。一軒の家は幅が狭くて縦長で、高さは四階が一般的みたい。」と真登香先輩が言った。
「今スマホで調べたよ。これ見て、こんな感じ。https://ieny.jp/post/92ドイツの住宅ってメルヘンチックね。凄くきれいでかわいい。」と若葉先輩が見せてくれた。
「四階は屋根裏部屋って感じで、天井が斜めになっているみたい。エーミールはそこに個室を持っていたですね。」とあたし。
「エーミールは、兄弟がいなかったのかも。僕には妹たちがいるけど。当時の先生ってどれくらい給料をもらっていたんだろう?「僕」の家より裕福みたいね。」と明美班長。
「それにしても、中庭から簡単に入れてしまうんですね。今より物騒じゃなかったのね。」とあたし。
「エーミールが留守で、部屋のドアは開いていた。この偶然が悲劇を生むのよ。」と真登香先輩が言う。
「でも、偶然が生むのは悲劇と言えるのかな?悲劇は必然から生まれるって聞いたけど。」と若葉先輩が疑問を口にした。
「確かに、でも、偶然の度合いによって、悲劇性が量れるんじゃない?「僕」には、既に悲劇を生み出す要素が十分にあった訳だし。その意味では必然と言える。」
「だよね、それを言ったら、誰しもが偶然の中で生きている訳だし、偶然をすっかり排除する訳にはいかない。どこかで偶然は働いている。」
「むしろ、偶然が生み出したことが必然かどうかを問えばいいのよ。「僕」の場合は必然だわ。仮に別の偶然があっても、同じことをしたと思う。」
「要するに、ヘルマン・ヘッセは悲劇を作ろうとしたんだね。」
 悲劇について、ひとしきり議論が続いた。悲劇の定義って難しいんだ。これまで何となく使ってきたけど、これからは意識して使おうっと。

コメント

  1. すいわ より:

    羨望、嫉妬に誘引されて「僕」はまるで誘蛾灯に引き寄せられる「クジャクヤママユ」。「僕」は本物の、蝶に対する情熱という宝物を自らの内に持ちながら、エーミールの、ロフトに自分だけの空間を持ち、誰もを魅了する素晴らしい蝶を持っているという眩しい程の恵まれた境遇に自制が効かなくなってしまっている。一つの要素が欠いても別の要素が必ずその結末へ辿り着くように仕組まれている。傾ける情熱を誰からでもなく自らの手で絶ってしまう悲劇。読者がこれを悲劇と捉えるのなら作者は本望でしょう、「僕」に気持ちを添わせているのだから。

    • 山川 信一 より:

      「一つの要素が欠いても別の要素が必ずその結末へ辿り着くように仕組まれている。」とありますが、これこそ悲劇の条件ですね。
      「羨望、嫉妬に誘引されて」とありますが、この時の思いは「羨望」でしょうか?また、「嫉妬」はあったでしょうか?前者はともかく、後者は違うように思います。
      「僕」のちょうへの思いは、エーミールがクジャクヤママユを所有していることには向けられていません。誰が持っていてもいいのです。それを直に見たいという思いです。

  2. すいわ より:

    エーミールが「クジャクヤママユ」を手に入れた事を知り、なぜ、あいつばかりが、という感情が心にあるかと思ったのですが、なるほど、なりふり構わず、ただただ蝶を見たい欲求に突き動かされているのですね。それ程までに「クジャクヤママユ」への思いが強い。バランスを失った心が招く悲劇の終章の幕が上がって行きます。

    • 山川 信一 より:

      「僕」はまだ社会性が未発達のところがあります。それで、人間関係より生じる感情もそれほど発達していません。
      自然に近い状態なのです。よって、嫉妬は似つかわしくないように思いました。

タイトルとURLをコピーしました