第百二十一段 ~粋なやり取り~

 昔、男、梅壷より雨にぬれて、人のまかりいづるを見て、
 うぐひすの花を縫ふてふ笠もがなぬるめる人に着せてかへさむ
返し、
 うぐひすの花を縫ふてふ笠はいなおもひをつけよほしてかへさむ


 昔、男が梅壺の殿舎から雨に濡れて、人が退室するのを見て、
〈鶯が梅の花を用いて縫うという笠があったらなあ。雨に濡れるように見える人に被せて帰して差し上げたい。〉
返し、
〈鶯が梅の花を用いて縫うという笠は結構です(「いな(否)」)。その代わり、あなたの「おもひ」という火をを付けてください。その火で私の濡れた衣服を乾かして、今度は私から「おもひ」という火をお返ししましょう。〉
 これは、男がたまたま梅壺の殿舎から誰かが朝帰りするのを見て、女になりすまして詠んだのである。ちょっとした悪戯心だったのだろう。
 場所が梅壺だったのでそれに引っかけ、さらに、鶯は青柳の糸で梅の花笠を縫うと言われているので、それを踏まえて詠んだ。「笠もがな」の「もがな」は願望の終助詞。「ぬるめる」は「濡る」+視覚推定〈めり〉の連体形「める」。濡れているように見えるの意。
 この歌も気が利いているが、返歌も粋な歌である。笠ではなく、「おもひ」をくれと言う。「おもひ」に〈火〉を掛けて、それで濡れた衣服を乾かし、今度は自分の「おもひ」を返すと言うのだ。「おもひをつけよ」となっているのは、辺りがまだ暗い暁の頃なので〈灯を点けて〉という意味を重ねたからである。
 見事なやり取りである。この歌を贈られた男は、相手が男だとわかっていて、こう返したのかもしれない。いずれにせよ、恋は、歌の教養の見せ所であった。

コメント

  1. すいわ より:

    お互いに逢瀬の帰り、と言う事なのでしょうね。見て取ってすぐに、こんなにも凝った歌を詠めるとは!
    「おや、あの男、この雨の中濡れて帰るとは。女は見送りもしてやらないのか、気の毒な事。ちょっとからかってやろうか。」
    「あぁ、格好悪いところ見られたものだ。せめて気の利いた歌でも返しておかないと格好が付かないからなぁ。」
    後朝の歌を返すより先にこのやり取りをしているのでしょうから、お互い分かっていてのやり取りなのでしょう。
    これが本当に女からの歌だったら、笠一つ持たせない女より当然心惹かれて、会える機会を作る歌を返したのではないでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      二人ともこういうやり取りに慣れているのでしょう。恋は、こうした歌のやり取りも楽しみのうちなのです。
      もしかすると、〈本末転倒〉して、こういうやり取りをするために恋をしているのかもしれません。

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