第百二十段 ~嫌みな男~

 昔、男、女のまだ世経ずとおぼえたるが、人の御もとにしのびてもの聞えてのち、ほど経て、
 近江なる筑摩(つくま)の祭とくせなむつれなき人のなべのかず見む


 昔、男が、女でまだ男女の関わりをしていない(「世を経ず」)と思われる女が、身分のある人のもとに忍んで情を交わし、ものなど申し上げるようになった後、だいぶ経って、
〈近江にある志摩の祭を早くして欲しい(「なむ」は願望の終助詞。)。私にはつれないあなたの鍋の数を見たいから。(ウブな顔をして、私以外の男とはお盛んのようですね。)〉
女のまた世を経ずとおぼえたるが」の「「女の」の「」は同格〈~で〉。「世経ず」は男性との経験がないこと。男からは、そう見えたのである。ところが、この女はとんだ食わせ物で、自ら積極的に別の高貴な男のところに忍んで行っていたのだ。男は単に相手にされなかっただけだったのだ。そのことがしゃくに障って女をなじる歌を贈った。
筑摩の祭」とは、滋賀県の筑摩神社の鍋祭りのことである。この祭では、氏子の女が今まで自分が関係を持った男の数だけ土鍋を奉納する習俗があったと言う。女がいかに自分が魅力的で有るかをアピールしたのだろう。社会がそういう女を求めていたに違いない。
 しかし、この時代には、女が積極的であるのはふしだらでよくないという価値観に変わっていたのだろう。それにしても、この男は、心の狭い嫌みなヤツである。女にだって男を選ぶ権利があるのだから。

コメント

  1. すいわ より:

    昨日、一昨日に続く困った男、思い込みの果ての嫉妬、わざわざ歌を贈ってまでの嫌がらせ。「なべのかず」何だろうと思いましたが、子孫繁栄の為の多産が望ましい事とした祭り、確かに各地にあるようです。「色好み」が女の場合、好意的に取られない事、これまでにも描かれていますが、そんな相手であればこそ、振り向いてもらえるだけの歌を贈らないと。ウブじゃない事が分かって関心を失ったのなら、嫌味な歌など贈ってわざわざ自分を下げるような事しなければいいのに。

    • 山川 信一 より:

      この話は、逆恨みをして相手を嫌がらせるべきではないという戒めなのでしょう。
      「色好み」に男女差がない世の中が望ましいのに、そうじゃないとすれば、社会の都合です。

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