第百十九段 ~苦痛のたね~

 昔、女のあだなる男の形見とておきたる物どもを見て、
 かたみこそいまはあたなれこれなくは忘るる時もあらましものを


 昔、女が誠意のない浮気男が別れた後も思い出せるように形見だと言って置いていった品々を見て、
〈別れた後の慰めとなる形見の品々が今となっては忌々しい苦痛のたねになってしまった。これが無かったら、あの浮気男を忘れることもあったであろうに。(思い切れない自分が情けない。)〉
 男は、別れる女の慰めになるだろうと形見の品を置いていったのだろう。しかし、しかし、それがかえって仇になってしまったと言うのだ。男を忘れられないし、そんな自分をふがいなくも思うからだ。男は余計なことをしてくれたものだ。この歌は女のモノローグであろう。和歌などの短詩型文学の基本は独白であろう。自らの思いを忠実に捉えることが他者の共感も生むからだ。他者を意識すると媚びることになりかねない。
あだなる」は形容動詞で〈当てにならない〉。「あた」は名詞で〈敵・恨みの種〉。「あらまし」の「まし」は反実仮想の助動詞である。この歌も『古今和歌集』恋四にある。

コメント

  1. すいわ より:

    よんどころない事情で別れたのならまだしも、こんな形で女を縛り付けてしまって。前段のように都合よく訪ねてくるような男だとしたら、恨みを買いそうです。それを思い遣りだと思っているような男なら、思い出と共に綺麗さっぱり打ち捨ててしまえばいい、と簡単に出来ない所が惚れたものの弱み。一般的に、恋愛の思い出の品、捨てられないのは男と言われていますけれど。

    • 山川 信一 より:

      確かに一般的な男と女の傾向は存在します。だから、女が恋愛以外に関心を示すと、歴女だとかリケジョだとか鉄女だとか山ガールだとかカープ女子とか言って特別視します。
      しかし、本当にそうでしょうか。こういったことは、元々の性差ではなくそれを取り巻く環境のなせる業ではないでしょうか。
      恋愛の思い出の品を捨てられる、捨てられないも、それによるように思います。捨てられる男もいれば、捨てられない女もいます。

  2. すいわ より:

    「形見とておきたる物ども」、どんなものか想像してみたのですが「物ども」、別れにあたりその時にハイと1つ手渡した贈り物としての「物」でなく、付き合い長く生活レベルに過ごした後のあれもこれもではないだろうかと思え、温もり抜けた衣を抱きしめながらポツリとこぼすように歌を詠ったのではないかと思うと切ないです。

    • 山川 信一 より:

      確かにそう読むと切なく思えてきます。ただ、本文には「男の形見とておきたる物ども」と「とて」(と言って)とあります。
      それによれば、男が自分との月日を忘れないでいてもらうためにわざわざ置いていった物になります。
      そうでなくても、二人で暮らした名残の品はいくらでもあるでしょうに。
      女にとって、それは思い出の品にもなるし、憎らしいもにもなります。複雑な思いです。

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