第百十六段 ~距離と時間~

 昔、男、すずろに陸奥の国までまどひいにけり。京に思ふ人にいひやる、
 浪間より見ゆる小島のはまひさし久しくなりぬ君にあひ見で
「何ごとも、みなよくなりにけり」となむいひやりける。


 昔、男がこれといったわけもなく(「すずろに」)陸奥の国までさまよっているうち(「まどひ」)行ってしまった。京に、思っている人に、言い贈った、
〈波間より見える小島の浜は日が差し、その「ひさし」ではありませんが、久しくなってしまったね、あなたに逢わなくなって。〉
「何事もみなよくなってしまいました。」と言い贈ったのだ。
「浪間より見ゆる小島のはまびさし」は「久し」を導く序詞である。しかし、「何ごとも、みなよくなりにけり」の意味が難しい。あなたに久しく逢わないこととどう繋がるのか。すると、〈思い出は過去を美化する。〉と言う言葉が浮かんでくる。遠く長く離れることで、いいことしか思い出さないと言うことか。『古今和歌集』恋四に次の歌が載っている。
 「飽かでこそ思はん仲は離れらめそをだに後の忘れ形見に」
 この歌の意味は、〈思い合っている仲は、飽きの来ないうちに離れている方がいい。飽きないで別れたということを後の忘れ形見にして。(とことん行くところまで行って別れたのでは、嫌な思い出しか残らないから。)〉
 恋はいつか冷めて飽きが来る、そうならば、そうなる前に別れた方がいい、愛し合ったという思い出が形見として残るから、ということだ。しかし、この男女は、恐らく行くところまで行って別れてしまったのだろう。それでも、こうして男が女から時も所も離れることで、これまでのことがすべてよく思えてくるのと言うのだ。これも恋の知恵である。

コメント

  1. すいわ より:

    解説を見る前に、全く違うストーリーを思い浮かべてしまいました。過労で鬱気味のサラリーマン。
    これと言った理由もなく鬱々とした気持ちを晴らすべく旅立ち、気付けば遥か陸奥の国まで辿り着いていた。「波間よりみゆる小島」、松島湾に浮かぶ小島の風景が思い浮かんだのですが、何を見聞きしても心動くことがなかったのに、日差し明るい眼前の景色を見て久方ぶりに「ああ、美しい」と思う。止まっていた心の時計の針が動き始めて、自分の周囲へも気持ちが開かれて行く。そういえば、心配を掛けた、都に残して来てしまったあの人、どうしているだろう?「万事、滞りなく解決しました(あなたの元へ戻りますね)」、、、色気のカケラもない解釈、解説を読んで男女の機微について納得。泥仕合の憎み合いをする前に、無理やりの軌道修正をせず離れることでお互いの良いところを心に留め置けるように。それも男の思いやりなのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      これだけ短い話ですから、いかように読むこともできます。すいわさんの読みも間違っている訳ではありません。とても生き生きとした読みです。
      それに対して私の読みは、恋をテーマにして考えたものです。これが唯一の正解ではありません。すいわさんの解釈の方がいいという人がいてもおかしくありません。

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