第九十七段 ~賀の歌~

 昔、堀河のおほいまうちぎみと申す、いまそがりけり。四十の賀、九条の家にてせられける日、中将なりけるおきな、
 桜花散りかひ曇れ老いらくの来むといふなる道まがふがに

 昔、堀川の太政大臣(藤原基経)という申す方がいらっしゃった(「いまそがりけり」)。四十歳の賀を九条の家でなさるという日に中将であった翁が、
〈桜花よ、散り曇るようになってくれ。老いることが来るという道を間違えてしまうくらいに(「がに」)。〉
 久しぶりに業平と思われる人物(「中将なりけるおきな」)が登場する。当時は、四十歳でも長寿として祝った。歌がうまいということで招待されたのだろう。
 その歌は、期待に違わず凝ったものになっている。上の句で賀にはふさわしくないことを言う。せっかく咲いている桜に散れ、晴れている空に曇れとのだから。しかし、下の句でその理由を語り、見事に逆転している。「老いらく」を擬人化して、賀にふさわしい歌になっている。
 恋で鍛えた歌の本領発揮というところだろう。恋は、相手がどうしたら喜ぶかを考えることだから、いろいろと応用が利くのです。
 実は、藤原基経は第六段で出て来た二条の后の兄であった。事件は狭い範囲で起こっていた訳である。あの事件はもう時効ということか。

コメント

  1. すいわ より:

    上の句の「?」が下の句で「!」に転じて見事ですね。今時は「サプライズ」と称して派手な演出をしたりしますが、たった三十一文字で一瞬にして、桜を散らすどころか、その場にいる人すべての顔に笑顔を咲かせる。人の心を掴む達人ですね。

    • 山川 信一 より:

      和歌は、世界で最も短いドラマかもしれませんね。これは、現代の短歌にも言えます。俳句との棲み分けがここにあるように思います。
      この歌は『古今和歌集』にも業平作の賀の歌として載っています。さすが、業平です。

  2. らん より:

    鬼にさらわれたあの女の人の事件ですよね?
    草の露を白玉と言ったあの人のお兄様ですか。
    多分、あの時鬼に食べられちゃったのではなく、
    お兄さんが引き離したのですよね。一族のために。
    なのに、こんな近くで歌詠みだなんて。
    あの事件はもう時効なのでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      今の感覚で言ったら、理解しがたいですね。今より恋もトラブルに寛容だったのでしょう。
      一方、歌の腕前が高く評価されていたので、うち捨てておけなかったのでしょう。
      何しろ、在原業平は六歌仙の一人でしたから。芸は身を助くと言いますからね。
      『戦場のピアニスト』という映画を思い出します。

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