第九十一段 ~惜春~

 昔、月日のゆくをさへ嘆く男、三月つごもりがたに、
 をしめども春のかぎりの今日の日の夕暮にさへなりにけるかな

 昔、女が逢ってくれない上にいたずらに月日が過ぎゆくことまでも(「さへ」)嘆く男が、春の終わりの三月の月末の頃に、
〈惜しむけれども、春の最後である今日のこの日の、それも夕暮れにまでもなってしまったことだなあ〉
惜春の思いを歌っているけれど、真意は別にある。「春が行くのは止めることができません。今日で春が終わってしまいます。けれども、恋の春はあなた次第で続きます。季節の春が短いように、恋の季節も短いのですよ。今日こそ逢ってください。」と言うのだ。
「命短し恋せよ乙女」というところだろう。さて、上手くいくだろうか。上手くいかない恋が続いているので、これも失敗例なのだろう。女は一般論では動かない。

コメント

  1. すいわ より:

    歳月の移ろいをあはれと感じての歌、ではないのですね。「春のかぎりの、、」と「〜の」を畳み掛けるように使っていて、迫ってくるような何か落ち着きのなさを感じるのはそのためでしょうか。春の日の尽ともなって日暮れも迫る、夜の帳も降りてこよう、さあ、恋の時間です、迷っている暇はありませんよ、、と間を狭められたら逃げたくなるかもしれません。

    • 山川 信一 より:

      この歌は「月日のゆくをさへ」の「さへ」が手掛かりです。「さへ」は、〈添ふ〉からできた語で、〈~、までも〉という意味です。すると、隠されている嘆きの理由として、女に逢えないことが浮かび上がってきます。恋は、シーソーゲームです。ちょっと迫りすぎですね。

  2. らん より:

    過ぎ去ってしまうこと をすごく敏感に感じる、感受性の高い、繊細な心の寂しがりやの素敵な男性なのかと思ったのですが。。。
    女の人を待っているのですね。迫られると怖いです。。。

    • 山川 信一 より:

      確かに迫ってくるような歌ですね。春の歌として詠めば、らんさんの言うとおりで、「敏感に感じる、感受性の高い、繊細な心の寂しがりやの素敵な男性」に思えます。
      でも、これが恋を迫る歌なら、怖いでしょう。女性心理がわかっていなかったのかもしれませんね。

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