第九十段 ~作意~

 昔、つれなき人をいかでと思ひわたりければ、あはれとや思ひけむ、「さらば、あす、ものごしにても」といへりけるを、かぎりなくうれしく、またうたがはしかりければ、おもしろかりける桜につけて、
 桜花今日こそかくもにほふともあな頼みがた明日の夜のこと
といふ。心ばへもあるべし。

 昔、なかなか振り向いてくれない冷たい(「つれない」)人を何とかしてその気にさせよう(「いかで」)と思い続けていたので、その人はあまりに可哀想だ(「あはれ」)と思ったのだろうか、「それならば、明日、物越しにでもお逢いしましょう。」と言ってきたのだが、限りなく嬉しく思う一方で、また疑わしかったので、目を奪われるほど美し(「おもしろかりける」)桜に歌を付けて、
〈桜の花が今日はこのように美しく咲き誇っていますが、ああ、頼みがたいなあ(「頼みがた」は形容詞「頼みがたし」の語幹)。明日の夜のことは・・・、本当にあってもらえるかどうか不安です。〉
と言う。この歌は、歌を作る上での作意(「心ばへ」)もあったにちがいない。 
 好きな人には一刻も早く逢いたいものである。しかも、恋はタイミングである。それがずれたら、成立しないこともある。(本当に大丈夫ですか?)と念を押したくもなる。ただ、その気持ちをどう表すかが難しい。語り手は、この歌はやや作意が感じられて、わざとらしいと言う。桜の見頃をなぞらえるのは付きすぎと言うことか。なるほど、女は押しつけがましく思うかもしれない。果たして逢ってもらえたのか?
 これも拾遺である。落とした話を拾い集めている。物語の構成が歌集の編纂に似ている。『古今和歌集』の後に『拾遺和歌集』が編纂されているように。これからもこの種の話が続く。

コメント

  1. すいわ より:

    女が情にほだされて物越しにでなら、との約束を取り付けた男。美しいけれど移ろいやすい桜になぞらえて約束を反故にされないか伺いを立てる。これ、どうなのでしょう?
    「明日の夜の約束、心変わりはないよね?」と疑われるより、「明日の夜、あなたに逢うまでこの花の香りが残っていますように」くらいに言った方が良いように思うのですが。「あら、折角チャンスをあげたのに私、信用がないのね。だったらわざわざ逢う事も無いかしら」とかえってご機嫌を損ねそうな気がします。

    • 山川 信一 より:

      男は女心がわかっていないようです。こんな歌ではダメですね。恋に疑いは禁物。そもそも移ろいやすい桜を小道具に使うところから選択を誤っていますね。これも恋の失敗例でしょう。

  2. らん より:

    先生のおっしゃる通り、恋に疑いは禁物ですよね。
    女の人、疑われていい気持ちしないですね。
    逢う約束が出来て嬉しい気持ちの歌を作れば良かったのになあと思いました。
    桜の花は移ろいやすいけれど、美しい花なのだから、もっと違う使い方をすればいいのになあと感じました。

    • 山川 信一 より:

      男は逢ってしまえば何とかなると思ったけれど、「あす、ものごしにでも」の「あす」が堪えられなかったのでしょう。
      男の気持ちと女の気持ちにずれが生じることがあります。それをどう修正すればいいのかが問題ですね。
      互いがそのことを理解し歩み寄ればいいのですが、この場合は、女にその気がなさそうです。

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