第八十九段 ~天罰~

 昔、いやしからぬ男、われよりはまさりたる人を思ひかけて、年経ける、
 人しれずわれ恋ひ死なばあぢきなくいづれの神になき名おほせむ

 昔、それほど身分が低くない男が、自分より高貴な女を思い慕って、年を経た後に、
〈人知れず私が恋に苦しみ死んでしまったならば、自ら無意味な死だと(「あぢきなく」)思うのだが、人は私が死んだのは天罰が下ったせいだよと思うことだろう。でも、一体どこの神様のせいにして、その神様に言われ無き悪名を負わせるのでしょう。〉
 男が女にふられて何年かして、この歌を送ったことに驚く。なんという執念深さだろう。神を出してきて、女に責任を感じさせようとしている。あなたはそれでもいいのですかと。これはこれまでにない口説き方である。(ただし、この種の歌は万葉集にも載っている。独自の発想ではない。)これはもう恨みかもしれない。女がこれでなびくとは思えない。よろしくない例を出したのだろう。
 この話は物語の時間の流れからすれば、少し若い時の話である。言わば、恋のエピソードの拾遺である。歌集に拾遺集があるように。拾遺はこの先も続く。

コメント

  1. すいわ より:

    もし私が恋に殉じる事があったのなら、甲斐のない事だけれど、分不相応な恋をするから天罰が下ったのだと、神の名を借りて謗る人もありましょう。(あなたが振り向いてくれないのは)そんな汚名を神に着せることなのですよ。恋する私に咎のあるはずがないのだから、、という感じなのでしょうか?「いづれの神になき名おほせむ」がどうもよく読み取れませんでした。
    叶わぬ恋、再チャレンジするなら、恨み言を言うのでなく、どんなに時や空間を隔てても心の変わらないことを示さないと。

    • 山川 信一 より:

      わかりにくかったようですね。少し訳を変えたので、ご覧ください。
      「恋に殉じる」と言うより、〈恋が叶わない苦しみで死ぬ〉という意味合いです。それを見て、事情を知らない人は、理由がわからない変死なので、私が何か悪いことをして神の天罰が下ったと言うことでしょう。一体どの神様がその濡れ衣を着せられるのでしょうか?あなたはそんなことをなさっていいのですか?ということです。

      • すいわ より:

        追っての解説有難うございます。
        秘め事だから、周りは事情を知らずに神の天罰なのでは?と私の死を神のせいにするけれど、紛れもなくあなたに恋した果てのこと、神のせいではないのに、と言うことですね。それで女に責任を感じさせる、と。相手に追いすがり、追い詰める、恋は盲目と言いますけれど、背中合わせの愛憎のバランスのなんと危ういことでしょう。

  2. らん より:

    こんな口説き方をされたら嫌ですね。
    とても後味が悪いです。
    もっと爽やかに口説かれたいですね(^ ^)

    • 山川 信一 より:

      やはりそうですか。それが女性の素直な気持ちですよね。
      女性の素直な気持ちを言ってくれてありがとうございます。『伊勢物語』は男性の視点で書かれているので、貴重なご意見です。
      これはもう恨み言なのかも知れませんね。逢うことはすっかり諦めてしまって。
      『伊勢物語』は、恋愛の真実を解き明かすという目的で書かれているようです。
      ならば、こうした負の一面も語る必要があります。

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