第八十二段 ~その三 主従関係~

 親王、歌をかへすがへす誦じたまうて、返しえしたまはず。紀の有常、御供に仕うまつれり。それが返し、
 ひととせにひとたび来ます君待てば宿かす人もあらじとぞ思ふ
かへりて宮に入らせたまひぬ。夜ふくるまで酒飲み、物語して、あるじの親王、酔ひて入りたまひなむとす。十一日の月もかくれなむとすれば、かの馬の頭のよめる、
 あかなくにまだきも月のかくるるか山の端にげて入れずもあらなむ
親王にかはりたてまつりて、紀の有常、
 おしなべて峰もたひらになりななむ山の端なくは月も入らじを

 親王は、この歌を繰り返し繰り返し声に出してお読みになって、返歌はおできにならなかった。紀有常がお供にお仕え申していた。それが代わって返歌し、
〈織り姫は一年に一度いらっしゃる彦星を待っているので、彦星以外に宿を貸す男もあるまいと思います。(もう帰りましょう。)〉
帰って宮殿にお入りになった。夜が更けるまで酒を飲み、雑談をして、主の親王は、酔っ払って部屋に入ってしまおうとする。十一日の月がまさに沈もうとするので、その馬の頭が詠む、
〈まだ満足できないのに(「あかなくに」)また早いのにもう(「まだきも」)月が隠れてしまうのか(「」は。詠嘆の終助詞。)山の端が逃げて入れないであって欲しい。(「なむ」は願望の終助詞。おやすみなるのが残念です。親王を「」にたとえているのである。)〉
親王に代わり申し上げて、紀有常が、
〈すべて山の峰も平らになってしまって欲しい。山の端がなくなれば月も入らないだろう(「」)ものを。(それは無理なので、もう寝ましょう。)〉
 惟喬親王、業平、有常の親密な主従関係が語られている。この話は、『土佐日記』の二月九日にも出てくる。有名なエピソードだったのだろう。古き良き時代の話として語られている。業平の名は、「時世経て久しくなりにければ、その人の名を忘れにけり。」とある。業平の名は『伊勢物語』では基本的に出てこない。第六十三段の「在五中将」くらいである。業平日記にしたくなかったからだろう。しかし、『土佐日記』には、在原業平の名前が記されている。惟喬親王は、あの斎宮の兄である。男は、その人に仕えている。恋は恋、仕事は仕事なのだろう。主従共に政治の表舞台からは取り残された感がある。狩りをし、酒を飲み、歌を詠む。何とも優雅な生活ぶりである。しかし、それは政治の表舞台に立てないもの同士が慰め合っている姿でもある。また、歌は、いずれも恋を暗示する内容にもなっている。主従関係も恋とそう変わらない。人の営みは、恋を基本にすればいいということか。

コメント

  1. すいわ より:

    有常、あの有常ですね。この方、気が回って優しいのですね。まだ飲んで話して、夜明かしくらいしたいという人の意を汲みつつ、山も眠ることだからもう休みましょう、と。主人に対する忠誠ぶりがまるで妻のような心細やかさ。媚びへつらっている様子は微塵もない。相手に心を尽くして相対する事を恋と呼ぶならば、まさしくこれも「恋」なのでしょう。政治の覇者にはなれなかった人たち。でも、哀れな人たちという感じを受けないのは社会的な地位などを取り払った、「人」としての生き方に筆者が重きを置いているからではないかと思います。

    • 山川 信一 より:

      そう、あの妻に愛想を尽かされた有常です。でも、本当に優しいいい人間です。私も「人としての生き方」なら、藤原常行よりも紀有常に魅力を感じます。作者はこうした生き方に共感しています。すべての人が恋を経験し、それを応用することをよしとしたのでしょう。

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