第八十段 ~在原家と藤原家~

 昔、おとろえたる家に、藤の花植ゑたる人ありけり。三月のつごもりに、その日、雨そほふるに、人のもとへ折りて奉らすとてよめる、
 ぬれつつぞしひて折りつる年のうちに春はいく日もあらじと思へば

 昔、衰えた家に、藤の花を植えていた人がいた。三月の月末に、その日、雨がしとしとと降る時に、人の元へ枝を折って献上させる(「奉らす」)として詠んだ、
〈あなたのために雨に濡れながら強いて折りました。一年のうちに春はもう何日もあるまいと思うので。〉
 恋の歌と読むことはできる。男が女に贈り物をする。大した経済力がないので、藤の花を贈る。あなたのために濡れながら折ったと言うことで誠意を見せる。「私にとって春はいくらも残っていません。最後の恋をしてくれませんか。」といったところか。しかし、これでは「おとろえたる家」「藤の花」の必然性が今一つ感じられない。
「おとろえたる家」とは、在原家であろう。ならば、藤の花は、藤原家を言うのだろう。藤を植え、雨に濡れながら献上するのは、その威光に従うということか。ならば、春は、男の残り少ない人生を暗示しているのだろう。「私も年を取りました。これからどのくらいお仕えすることができるかわかりません。元気な間は、あなたに従います。」ということか。第七十九段の噂を何とかしてもらおうとしているのかもしれない。

コメント

  1. すいわ より:

    斎宮との別れの後、七十六段から急に老境に入りましたね。恋の歌として詠まれたものならば、藤の房から落ちる雫が輝いて、しっとりとした歌が添えられて美しいですが、自身の老いと斜陽の家門を思い、威光にすがるべく届けられたものだと思うと、物寂しい思いがします。
    風雅を愛し、何にも優先することを信条としてきた業平ですから、そんな含みはないのでしょうけれど、「手折る」という行為が、しかも藤の花、諸行無常とばかりに権勢も久しからず、と曲げて取られなければ良いのですが。

    • 山川 信一 より:

      私も「手折る」という行為に引っかかりました。これは面従腹背を表しているのでしょうか?
      いずれにしても、恋で鍛えた歌は様々な場面で応用が利きます。

  2. みのり より:

    藤の花を折るという行為が藤原家に対する憎しみのように感じられました。

    • 山川 信一 より:

      歌を花に付けて贈るのは一般的なことです。
      しかし、その気持ちが無かったかと言えば、どうでしょう?
      あったかもしれませんね。

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