第六十九段 ~その三 別れ~

 野に歩けど、心はそらにて、今宵だに人しづめて、いととくあはむと思ふに、国の守、斎宮の頭(かみ)かけたる、狩の使ありと聞きて、夜ひと夜、酒飲みしければ、もはらあひごともえせで、明けば尾張の国へたちなむとすれば、男も人しれず血の涙を流せど、えあはず。夜やうやう明けなむとするほどに、女がたよりいだす盃のさらに、歌を書きていだしたり。取りて見れば、
 かち人の渡れど濡れぬえにしあれば
と書きて末はなし。その盃のさらに続松(ついまつ)の炭して、歌の末を書きつぐ、
 またあふ坂の関はこえなむ
とて、明くれば尾張の国へこえにけり。斎宮は水の尾の御時、文徳天皇の御女、惟喬(これたか)の親王(みこ)の妹。

 野を歩いても、心は上の空で、何とかして(「だに」)今夜は人を静めて、少しでも早く逢いたいと思うが、国守で斎宮の頭を兼任した者が、狩りの勅使が来ていると聞いて、一晩中、酒飲みの宴を催したので、まったく(「もはら」)逢瀬もできず、夜が明ければ、尾張国へ経ってしまう予定になっているので、男も女も血の涙を流すけれど、逢うことができない。夜がようやく明けようとする時に、女は、女のところより出す盃を乗せる皿に歌を書いて差し出した。取ってみると、
〈江は江でも、歩いて渡っても濡れないほどの浅い江のように浅い縁なので、(「えにし」に〈江にし〉(「」は強意の副助詞)と〈えにし(縁)〉が掛かっている。〉
と書いて下の句はない。その杯の皿にたいまつ(「続松」)の燃えかすの炭で、下の句を書き継ぐ、
〈またお逢いするために逢坂の関をきっと越えるでしょう。〉
と言って、夜が明けると尾張国へ向かって越えてしまった。斎宮は、清和天皇の御代で、文徳天皇の娘で、惟喬親王の妹だ。
 女にとって、初めての恋、初めての人であった。自分のしてしまったことに後悔はないだろう。しかし、これは諦めなくてはならない恋、一期一会の逢瀬なのだと悟る。女はここでも、普通の歌のやり取りをしていない。上の句を詠んで、下の句を付けさせている。それは自分の思いを言い切れないからであろう。一方、新しい試みにもなっている。この女は常識に囚われない女性である。作者はこういう女性を好ましく思っているようだ。
 この段は、『伊勢物語』を代表する段である。これを以て題名としている。男が恋をした女は、身分が高く、しかも異性には接してはならない斎宮であったのだ。しかも、惟喬親王は、業平が使えていた人でもある。その妹なのだ。恋にタブーはないということなのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    これまで数々の恋の話を散りばめた「伊勢物語」、この段がメインディッシュだったのですね。モデルとなる人物のいる、当時の大スキャンダルを話に仕立てるには筆者の並々ならぬ文才と度量なくして完成を見なかった事でしょう。
    「今宵さだめよ」との歌を受け取り、女はまんじりともせず、一人、男を待っていたのでしょう。一人になると嫌でも目の前に横たわる「斎宮」である自分という現実を見つめずにはいられない。来なかった男、自分は「斎宮」であらねばならないと恋を手放す覚悟を示す上の句を男に差し出す。下の句として男の返した歌は「またお逢いしましょう」とは言っているものの、松明の(恋の)炎の消えた炭(済み)で書かれたもの、恋の終わりを暗示しているように思えます。二条の后の時と違い、この段では男は情熱は変わらずあるものの、社会的な立場、肩書きという枷から逃れられなくなっていますね。

    • 山川 信一 より:

      深い読みです。「炭」が恋の終わりを暗示している、説得力があります。
      男は、もはや「社会的な立場、肩書き」を捨てられないということにも同感します。
      女は再び男の部屋を訪ねたのかもしれません。それで、男の不在に恋の終わりを感じたのでしょう。
      上の句しか詠まなかったのは、中途で終わった恋を暗示しているようです。

  2. らん より:

    浅い縁と書いた下の句がない歌。胸が苦しくなります。決心して書いたのでしょうね。
    この恋の行き先を自分で決められず、男に決めて欲しかったのでしょうか。
    私的には「一緒にかけ落ちしてください」とか書いて欲しかったのですが、男の返事は
    大人の対応でした。
    帰ってしまうのですね。悲しいです。

    • 山川 信一 より:

      心では「男も人しれず血の涙を流せど」とあるほど、悲しんでいました。
      しかし、男は、若かりし時、二条の后を盗んで逃げた時とは違っていました。
      下の句では「またあふ坂の関はこえなむ」と言いながら、旅立ってしまったのですから。
      世間に負けてしまったのですね。

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