第六十八段 ~充電完了~

 昔、男、和泉の国へいきけり。住吉の郡、住吉の里、住吉の浜をゆくに、いとおもしろければ、おりゐつつゆく。ある人、「住吉の浜とよめ」といふ。
 雁鳴きて菊の花さく秋はあれど春のうみべにすみよしのはま
とよめりければ、みな人々よまずなりにけり。

 昔、男が和泉の国に行った。住吉の郡、住吉の里、住吉の浜を行くと、(和泉の国は、見所が多いようだ。)海辺の景色がパッと目に入ってきて惹き付けられたので(「おもしろければ」)、馬から下りては眺めながら行く。ある人が「住吉の浜という言葉を入れて歌を詠め」と言う、
〈雁が鳴いて菊の花が咲く秋は素晴らしいけれど、春の海辺に住み、住吉の浜を見るのはそれに劣らず素晴らしい。〉
と呼んだので(見事にできたので)、他の人は詠まなくなってしまった。
 春と秋がどちらがいいかという、例のテーマに沿った歌である。前段の続きである。だから、断りはないけれど、この時は春である。上の句で「あれ、春なのに?」と違和感を持たせて、下の句で納得させている。秋と春を対照させた技巧的な歌である。
 充電完了といったところだろう。また、恋が始まる。

コメント

  1. すいわ より:

    東下りの時もそうでしたが、旅の段は地図を持ち出してこの辺りかしら?と一緒に辿ってみます。関西の方は土地勘がないので、今回の旅は思い描きにくいのですが、湾の内側の地形、比較的穏やかな春の海が目の前に広がっていたのでしょう。船の出入りがあって横浜や鎌倉辺りの感じを思い浮かべると、きっと住吉の浜も美しい所なのでしょう。活気のある港町、住み易い(良い)がそのまま街の名になったのでしょうか。歌が晴れ晴れとしていて旅を満喫できた事が伝わってきます。

    • 山川 信一 より:

      地図を使うのはいいことです。地理は言葉ではなかなか説明しにくいものです。京からこのくらい離れているのかとか、どの方角なのかとか見当を付けるといいですね。
      『伊勢物語』は、それぞれの段が一応独立しています。でも、やはりそこには流れのようなものがあり、全体としても一つの物語として読めるようになっています。
      そうしてみると、ここまでの三段は、次から始まる重大事件の前の間奏のような気がします。
      この物語を『伊勢物語』と言うのは、次から始まる伊勢での話から来ています。

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