第四十四段 ~意味深長な関係~

 昔、あがたへゆく人に、馬のはなむけせむとて、呼びて、うとき人にしあらざりければ、家刀自(いえとうじ)さかづきささせて、女のさうぞくかづけむとす。あるじの男、歌よみて裳の腰にゆひつけさす。
 いでてゆく君がためにとぬぎつればわれさへもなくなりぬべきかな
 この歌は、あるがなかにおもしろければ、心とどめてよます。腹にあぢはひて。

あがたへゆく」とは、国司として任命されたということ。「馬のはなむけ」は送別の宴を開くこと。その人は、一家にとって疎遠な人(「うとき人」)ではなかったので、主婦(「家刀自」)が使用人に杯をささせて、女装束を贈り物として左肩にかぶせよう(「かづけむ」)とした。主の男が(主婦の気持ちになり)歌を詠んで、それを裳の腰に結びつけさせた、その歌。(「女装束」を送ることはよく行われていた。)
〈地方へ出発するあなたのためにと裳を脱いでしまったので、私までも(「さへも」)災い(「」は、〈裳〉に〈喪〉を掛ける。〈喪〉は災い。)が無くなってしまうに違いありません。〉
 この歌は、沢山の送別の歌の中で(「あるがなかに」)特に心を惹かれたので(「おもしろければ」)、気持ちを込めて詠じさせる。腹でじっくり味わいながら。
 主語が書かれていないけれど、ここは「あるじ」だろう。誰にさせたのかと言えば、「家刀自」になる。この人は、主人だけではなく、その家の主婦とも親しかったからである。
 問題は親しさの度合いである。「」の具体的内容は何か。誰にとって何が「」なのか。三者は、微妙で意味深長な関係であることを想像させる。

コメント

  1. すいわ より:

    親しくしていた人が遠方へ赴任する為、設けられた餞の席。主人の妻がいよいよ出立する男に女装束を手ずから肩へ着せかけようとしたその時、主人がその手から衣を取り上げて歌を詠みながら、男の腰にその衣を結びつける、、
    主人の詠んだ歌なのに「君」になっていて、なぜ?と思ったのですが、これは!

    「抜き差しならぬ間になってしまった貴方、この度、遠くへ赴かれる事になって関係が精算出来て、せいせいします」いえいえ、主人の妻、こんな事、思っていないでしょう。
    「遠く旅立って行く貴方、私の心は抜け殻になって死んでしまうに違いありません」たぶん、こっちが本音、夫は見逃していない。
    「妻と別れるのは辛かろう?でも妻を寝取られた私は涙せずにはおれなかったよ、お前に私の気持ちがわかるか?」
    三者三様、妻は男の地方への赴任は夫が加担しているのではと疑念を抱くのではないでしょうか。関係が知れているであろう事も心穏やかではないはず。男は歌を詠まれて呪いを掛けられたようなもの。簡単には帰って来られないだろう事を悟らされる。主人は、、歌を男に贈ると見せて、妻に自分の心情を伝えたのでしょう。その後?夫が妻を許すようには思えません。

    • 山川 信一 より:

      この話は、歌の後の二文によって、急に意味深長な内容になります。これがなければ、家族ぐるみのお付き合いかなとも思えます。
      読み手の想像力を刺激する話ではあります。翆和さんの鑑賞もとても興味深い内容です。
      「男の腰にその衣を結びつける」とありますが、ここは、〈歌を贈った装束の腰のところに結びつけた〉という意味です。

      • すいわ より:

        そうなると、この時点でこの歌は主人しか知らず、男は受け取って後になって女からの歌と思う、という事になりますか?妻は歌の内容を知らない。妻は男からの便り、もしくは帰りを心の内で待ち続け、その様子を主人はなにも知らぬ風で見続ける?怖いですね。

        • 山川 信一 より:

          最後の二文の解釈が難しい。一応「あるじ」を主語としました。しかし、歌を贈られた男を主語と見ることもできます。そうすると、男がその歌が気に入ったことを表します。
          男女関係は、現代よりも大らかなものだったのでしょう。それぞれがすべてを飲み込んでいる。嫉妬などない。そんな関係を表している気もします。
          現代では、不倫と言えば男女関係に限られますが、本来恋愛ほど倫理に関わらないものもありません。恋愛を倫理で縛る方が間違っているのかもしれません。
          不倫を言うなら、別のことで言うべきでしょう。倫理で縛るべきは別にいくらでもあるのですから。

  2. すいわ より:

    なるほど、奥が深いですね。お手上げです。先から、先生は、『伊勢物語』、紀貫之の手であろうと仮定されていて、主人が妻のフリをして男宛の歌を書き作っているところが「おとこもすなるにきなるものを」の『土佐日記』を思わせるところがあり、そうなると主人の行為は趣向として捉えられ得心するところです。物語の景色が一変して実に面白い。時期的にどうなのでしょう、この段を書いていて、これ、面白いかも、と『土佐日記』着想したのかもと思うと、何だかワクワクします。

    • 山川 信一 より:

      男が女の気持ちになって歌を詠むことは普通に行われていました。たとえば、百人一首にも載っている素性法師の次の歌もそうです。
      「いま来むといひしばかりに長月の有り明けの月を待ち出でつるかな」
      『土佐日記』についてはいずれまた。この段は、すいわさんのおっしゃるように「主人の趣向」なのでしょう。

  3. らん より:

    先生、女装束を贈ることはよく行われていたとのことですが、男の人は女装束を貰ってどうするんですか❓わからないので教えてください。

    • 山川 信一 より:

      こういうものは、もらうこと自体に意味があるのです。どうするということはありません。
      滅多にないことをすることに意味を持たせているのでしょう。

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