第三十二段 ~昔の女~

 昔ものいひける女に、年ごろありて、
 いにしへのしづのをだまきくりかへし昔を今になすよしもがな
といへりけれど、なにとも思はずやありけむ。

ものいひける」は〈情を通わせた・ねんごろになった〉。その女に、数年(「年ごろ」)経ってから歌を贈る。
いにしへのしづのをだまき」は、「くりかへし」を導く序詞。「しづ」は織物の一種。赤と青を乱れ模様に織り上げたもの。「をだまき」は、糸を巻き付けたもの。この序詞により、女に過去の二人の仲を色鮮やかに想像させようとしている。
〈あの美しい昔を繰り返す方法(「よし」)があったらなあ(「もがな」は願望の終助詞)〉と言うのである。
 と言ってやったけれど、女は何とも思わなかったのだろうか、たぶん思わなかったのだろう。
 一度気持ちが離れてしまうと、この程度の歌では(技巧的でなかなかいい歌ではあるけれど)、よりを戻すことは難しい。「昔を今になすよしもがな」は、男の単なる願望で、女の心を動かすには弱い。一方的に願望を述べられても、女の放っておかれた過去を修復するのは難しい。

コメント

  1. すいわ より:

    男にとっては美しい思い出、上手い歌を贈って今ひとたび、と思ったのでしょうけれど、おだまき、、、もてる男なのでしょう、縦糸の間を行ったり来たり。でも、織り成した錦も一度断ってしまったら、その先は織り進む事が出来ない。女はもう、他の錦を織り上げ、誰かを彩る衣となって添っているのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      言葉は大事です。しかし、それに伴う行動があってのことです。言葉で行動はカバーできません。
      女はそれをよく知っています。誰かのものになっていますね。
      男は、よほどの自信家に違いありません。

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