第二十九段 ~女性を褒める~

 昔、春宮の女御の御方の花の賀に召しあづけられたりけるに、
 花にあかぬ嘆きはいつもせしかども今日の今宵に似る時はなし


春宮」は〈とうぐう〉と読み、皇太子の意。 「春宮の女御」で、皇太子の母である女御。「女御」は、〈中宮〉と〈更衣〉の間の地位の女官を指す。その方のお屋敷(「御方」)の花の時期に行われた長寿の祝い(「花の賀」)に呼ばれ(「召し」)、歌を読むことを任され(「あづけられ」)ていたときに、詠んだ歌。
〈桜の花に満たされない(「飽かぬ」)嘆きはいつもしています。できれば、散ることなく、いつまでも眺めていたいと思います。けれども、この素晴らしい祝賀の今日の今宵ほどその嘆きが強いことはございません。素晴らしいお祝いの会です。〉
今日の今宵」と強調することで、「花の賀」がいかに素晴らしいかを表している。これが表の意味だけれど、長寿を祝う意味も込められている。「」は「春宮の女御」をたとえている。その美しさをたたえ、いつまでも美しくあって欲しいと言うのである。
 女性を褒めるのは、結構難しい。年配の女性ならなおのこと。その手本になるだろう。露骨なのは問題外であるけれど、何にどうたとえるかが難しい。

コメント

  1. すいわ より:

    長寿のお祝いと聞くと、花は桃なのかしらとも思いましたが、美しいけれど散りゆく桜と違い、女御の見目麗しさも、その権勢も花散らすことなく、続きますように、という含みなのでしょうか。いつまでも美しく、若くありたい、という女性が固執する焦点を、上手くやんわりとぼかしながら相手を褒める、上級テクニックですね。面倒、、と言ってはいけませんね。

    • 山川 信一 より:

      副題に褒めると書きましたが、この場合は祝うでしょう。ただ、この話を一般化して、褒めるにしました。
      私は、褒めることをしない教師でした。褒めるのは、上から目線で見ているような気がして。(ただし、感動した時は素直に伝えました。)
      まして、女性を褒めたことは、自覚的にはありません。そのテクニックも持ち合わせていません。
      女性は褒められたいものなのですか?

      • すいわ より:

        男女問わず、褒められたら嬉しいのではないかと思います、実のある褒め言葉なら。だから先生の(ただし、感動した時は素直に伝えました)は実のある褒め言葉、ですよね。
        「褒めて伸ばす」なんて言いますが、履き違えて、闇雲に持ち上げるのがいいと思っている人います。あれはいけませんね。

        • 山川 信一 より:

          そうですね。方法が先行してはいけませんね。相手のことをよく見ることが大切だと思います。
          ただ、褒められたい気持ちの人が多いようですね。そのうち、それに応えるAI機能付きのロボットができますね。
          もうできているのかもしれません。

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