第二十三段 ~その三 後日談~

 まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づからいひがひ取りて、けこのうつはものに盛りけるを見て、心憂うがりて行かずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
 君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも
と言ひて見いだすに、からうじて、大和人「来む」と言へり。喜びて待つに、たびたび過ぎぬれば、
 君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経る
と言ひけれど、男住まずなりにけり。

 これでハッピーエンドにならないのも現実である。ごく希に(「まれまれ」)ではあるけれど、男はまだ高安の女のところに通う。この男に限らず、男という生き物のだらしないところだ。
 ところが、高安の女は、初めは上品に(「心にくく」)も取り繕っていたけれど(〈こそ・・・已然形〉の形)、今では打ち解けて、自分の手でしゃもじ(「いひがひ」)を取って、茶碗(「けこのうつはもの」)にご飯をよそっ(て食べるようになっ)たのを男が見て、幻滅して(「心憂がりて」)行かなくなってしまった。(自分でご飯をよそって食べるのは、貴族の女性としては下品な作法であった。)それで、あの女は大和の方を見やって、歌を詠む。
〈あなたがいるあたりを見ながらここに居りましょう。あなたがいらっしゃる生駒山を雲は隠してくれるな、雨が降ったとしても。〉「(な・・・そ」は禁止を表す。)
生駒山」は男が住む大和と女が住む高安との境あたりにある山。元の女が「たつた山」と言ったのと対照的になっている。「雨は降るとも」は、元の女の歌の「風吹けば」に対応している。「風吹けば」は、元の女の影響を暗示している。つまり、〈あなたに別の妻がいてもかまいません。待っているので、私のところにも来てください〉という気持ちを表している。
と言って、外を見ている(「見いだす」)と、やっとのことで、大和に住む男が来ようとと言ってきた。
(この歌は、万葉集にある〈君があたり見つつも居らむ生駒山雲なかがふり雨は降るとも〉を踏まえたものである。男には女の教養が感じられたのだろう。)
 高安の女は喜んで待っているが、たびたび空しく過ぎてしまったので、また歌を詠む。
〈あなたが来ようと言った夜ごとに空しく過ぎてしまったので、もうあなたを頼りに思わないものの(「頼まぬものの」)、あなたを恋しく思いつつ過ごしています。〉
と言ったけれど、男は一緒に暮らさなく(「住まず」)なってしまった。
 この歌は、男の心を動かさなかった。自分の気持ちをそのまま述べただけだからである。表現に工夫がない。それに、男への愛が感じられない。「頼まぬものの」と言って、男を信頼してない。また、この表現では読み手の想像力を刺激しない。すべてを言ってしまっているからである。つまり、高安の女は、歌の力が欠けているのだ。
 高安の女は、一度は男が惹かれたのだから、見た目はいいのだろう。それと、お金を持っていることも取り柄だったのだろう。しかし、品もなく、教養にも欠け、愛することも十分できない。これでは、ふられる。結局、高安の女は、人の夫を奪うだけの魅力に欠けたのだ。

コメント

  1. すいわ より:

    そう簡単にすっぱり別れることはないのですね。ゆっくりフェイドアウトして、気付かぬうちに存在を消してしまえば、揉め事にならないだろう、わいわい言われるのはかなわないから、という感じなのでしょうか。
    高安の女、幼馴染の妻とは正反対のタイプですね。「あなたが越えてくるであろう、あのお山を私は眺め待っていますのよ、あなたに会えなくて、悲しみに涙して目が曇ってしまったらあなたのお姿を見る事も出来ない、雲よ、どうか、あの人の姿を隠さないで」この歌は心情と情景を上手に融合させてますけれど、男は返事はしても返歌していない。心が離れているのがわかります。次の歌は本当に頂けない、頼りにしてないって言ってしまうのですね。高安の女は他に妻のある、この男のどの辺りに魅力を感じていたのでしょう。そしてこの男の、また別の女のところへ通うのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      男の気持ちを想像するに、そんなところでしょうか?「自分が始めたことだし、急に行かなくなるのも悪いなあ。まあ何となく離れればいいかな?」といった感じ。
      でも、その前に幻滅してしまったのです。この時代の女は待っているだけで気の毒です。男の魅力云々以前に、言い寄ってもらえるだけで、嬉しかったのかもしれません。

  2. らん より:

    この男、全く、フラフラと何やってるんでしょう。
    あっち行ったりこっち行ったり。やはりムカつきます。
    しかし、この時代の女性も男性も、結構自由だったんですねえ。
    もっと硬いのかと思ってたんですが。
    みんな、自分の気持ちを歌で積極的に伝えてるんですね。
    びっくりしました。
    今の時代より積極的かも。
    人の心に届く歌を作らないと人の心は動かせないですね。
    高安の女の人は自分の気持ち一方的ですね。

    • 山川 信一 より:

      らんさん、コメントありがとうございます。
      確かに今よりも自由に男女が交際できましたね。歌という表現手段があったこともその理由でしょう。
      今ならSNSがそれに替わる手段なのでしょう。でも、歌ほどの力があるのでしょうか?

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