第十九段 ~独占欲~

 昔、男、宮仕へしける女の方に、御達(ごたち)なりける人をあひしりたりける、ほどもなく離れにけり。同じ所なれば、女の目には見ゆるものから、男は、あるものかとも思ひたらず。女、
 天雲のよそにも人のなりゆくかさすがに目には見ゆるものから
とよめりければ、男、返し、
 天雲のよそにのみしてふることはわがゐる山の風はやみなり
とよめりけるは、また男ある人となむいひける。

御達」は、宮仕えの女性に対する敬称であるが、その中でも〈特に高貴な女性〉を言う。つまり、男が宮仕えしているところに、その中で高貴な女性とねんごろになった(「あひしりたる」)のである。しかし、ほどなく別れてしまった。(その理由は後の歌の内容でわかる。)別れはしたけれど、同じ所に勤めているので、女の目には男の姿が見えるものの、男は、女がそこにいるものだなあとも思っていない。全く無視しているのだ。(つきあっていたのに、別れてしまった女が同じ職場にいるのである。どういう態度を取ればいいのか、難しいところだ。)
 そこで、女は、次のような歌を贈る。
 天雲のようにあなたは遠い存在になってゆくなあ。(「」は詠嘆。)そうは言っても(「さすがに」)、目には入ってくるので、気になります。
(どうも女には未練があるようである。「」のたとえは的確。)男が返す。
 天雲のように離れてばかり過ごす(「ふる」)のは、私が居る山の風が強いからなのですよ。
 これはたとえである。「とよめりけるは、また男ある人となむいひける。」という語り手の歌の解説からわかる。実は、女には、別にもう一人通う男がいたのである。「風はやみ」(風は強いから)は、それをたとえている。
 同時に複数の異性とつきあいたいのは、男も女も変わらないようだ。一方、異性愛は独占欲が強い。だから、自らの意志で、この人だけと限るのは、何よりの愛の証明になる。しかし、それが自然な感情に反することもある。自分は浮気がしたいけれど、相手の浮気は許せない。矛盾した感情が生じたりする。
 恋愛は、潔癖であるべきか。恋愛は、宗教のように信じるものなのか。浮気に目を光らせ、いがみ合うものなのか。それとも、共に複数の異性とつきあうことを認め合うべきか。心安らかだけど、どこか満ち足りないものなのか。正解はあるのだろうか。

コメント

  1. すいわ より:

    女は女官の中でも高位に位置する人なのですよね。そして男の返歌「〜風はやみなり」とある辺り、女のもう一人通う人の方が、返歌した男より権勢の強い人なのではないかと思えます。
    現在頼みにする人がいるし、生活にも困らない、近すぎて見えなかったものが離れて全体像が良く見えるようになって、手離したものが惜しくなった、という風な人だとしたら、男でなくても気持ちが離れて行くでしょう。独占欲、という意味では女性より男性の方が強いように思います。

    • 山川 信一 より:

      ヒトを類人猿のゴリラ、オランウータン、チンパンジーを比べると、どれに近いのでしょう?
      独占欲もそれと関係があるのかもしれませんね。偉そうにしていますが、ヒトも動物ですから。
      それはそれとして、この女はすいわさんがおっしゃる意味で、ちょっと嫌な女ですね。

タイトルとURLをコピーしました