第十八段 ~生兵法は・・・~

 昔、なま心ある女ありけり。男近うありけり。女、歌よむ人なりければ、こころみむとて、菊の花のうつろへるを折りて、男のもとへやる。
 くれなゐににほふはいづら白雪の枝もとををに降るかとも見ゆ
男、しらずよみによみける。
 くれなゐににほふが上の白菊は折りける人の袖かとも見ゆ

なま心」は〈未熟な風流心〉、「なま」は〈生〉の意。(ここで言う〈風流心〉とは、恋に関するものである。語り手は女に批判的であることが予想される。)男が近くに住んでいた。(女にとって格好のターゲットであった。)女は、男が歌を詠む人であったので、恋を仕掛けてやろうと思って(「こころみむとて」)、白菊の花の色の変わっている(「うつろへる」)のを折って、男の元へ歌と共に贈る。
 白菊は色が変わって紅になる(「くれなゐににほふ」」と言うけれど、それはどうなっているのかしら(「いづら」)。白雪が枝もたわわに(「とををに」)降るのかと思われるほど真っ白に見えます。
 これは、男を挑発する謎かけだ。(あなたは色好みと言われますが、そんな風には見えませんね。ここにこんなにいい女がいるのに、恋をしてくれてもいいんじゃありませんか。)純粋な恋心からではなく、自分の力を試そうとしたのだ。
 そこで、男は女の真意がわからないふり(「しらずよみ」)をして詠んだ。
 紅に色づいるのに表面が白く見える白菊は、折った人の袖の色かとも見えます。
 女の真意がわからないふりをするとは、女の誘いに乗らないということだ。だから、次のような意味が込められている。〈私が色好みなのは、相手次第なのです。私が色好みに見えないのは、つまり、あなたに恋をしないのは、あなたの恋心が見かけだけで、本心からじゃないからです。〉
 恋には、恋の作法がある。それを支えるのが和歌の技量である。この女は自分の技量を過信していた。それを試そうとしたのだ。しかし、恋はそんな不純な動機から生まれるものではない。これでは、浅ましさばかりが目立ってしまう。〈生兵法は怪我の基〉ということだ。
 恋に限らず、心得ておきたい教訓である。何事も、するなら、本気でするべきだ。なめてはいけない。

コメント

  1. すいわ より:

    なま心の「なま」は生意気の「生」ですか?よく使う言葉ですが、もしそうなら、背伸びして大人ぶっている、という言葉としてとても納得がいきます。
    それにしても、、千年経っても人は変わらないものですね、こういう人、いますもの。自意識過剰と申しましょうか。
    男にしたら、見え見えの計略、気があるふりして袖にするつもりだね、白々しい、と歯牙にもかけずサラリとかわしてくれて胸がすくというもの。落語の「紺屋高尾」を思い出しました。このお話と正反対ですね。藍に染まって手が黒くても、心は真っさら一途。恋をするなら心は真っ白でないと。

    • 山川 信一 より:

      同性と異性とでは、見るところが違うようで、何であんな男(女)がモテるんだと思うことがあります。
      この男は大したものです。異性の目も身につけたいですね。

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