古典

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第二百三十一段  嫌みなわざとらしさ

園(その)の別当入道は、さうなき庖丁者なり。ある人のもとにて、いみじき鯉を出だしたりければ、皆人、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかがとためらひけるを、別当入道さる人にて、「この程百日の鯉を切り侍るを、今日欠き侍るべ...
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《斬新な取り合わせ》

寛平御時きさいの宮の歌合のうた 素性法師 我のみやあはれとおもはむきりきりすなくゆふかけのやまとなてしこ (244) 我のみやあはれと思はむ蟋蟀鳴く夕影の大和撫子 「宇多天皇の御代皇后温子様の歌合の歌  素性法師 私だけがかわいいと思うのだ...
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第二百三十段  狐の文化的価値

五条内裏には、妖物(ばけもの)ありけり。藤大納言殿語られ侍りしは、殿上人ども黒戸にて碁をうちけるに、御簾をかかげて見るものあり。「誰そ」と見向きたければ、狐、人のやうについ居てさし覗きたるを、「あれ狐よ」ととよまれて、惑ひ逃げにけり。未練の...