第九十四段   軽重を弁える

 常盤井の相国、出仕し給ひけるに、勅書を持ちたる北面あひ奉りて、馬より下りたりけるを、相国、後に、「北面なにがしは、勅書を持ちながら下馬し侍りし者なり。かほどの者、いかでか君につかうまつり候ふべき」と申されければ、北面を放たれにけり。勅書を馬の上ながら捧げて見せ奉るべし。下るべからずとぞ。

常盤井:西園寺実氏。
相国:太政大臣の唐名。
北面:上皇を守護する武官。

「常盤井の太政大臣が朝廷に出勤なさった時に、勅書を持っている北面の武士がお会い申し上げて、馬から下りていたが、それを、太政大臣は後で、「北面の某は、勅書を持っていながら下馬致しました者である。この程度の者、どうして君におつかえするにふさわしいでしょうか。」と上皇に申し上げたので、北面を解かれてしまった。馬の上にいるままで勅書を差し上げてお見せ申し上げるのがふさわしい。下馬してはいけないと言うことだ。」

この北面の武士は、わざわざ馬から下り、常盤井の太政大臣に礼を尽くした。それは一見礼儀正しいようにも思える。しかし、それは上皇の権威をおとしめる行為でなのだ。そこで、太政大臣は、そんな判断もできない者は北面にふさわしくないと上皇に進言する。北面の判断は、この者の至らなさの氷山の一角であって、これを許せばもっと重大な過ちを犯しかねないからである。
兼好がこの話を取り上げたのは、常盤井の太政大臣のこの進言をよしとしたからだ。自分に礼を尽くしてくれた北面を咎めるのは気が引けただろう。しかし、公私を混同は許されない。何が重要かを見誤ってはならない。兼好は、太政大臣が筋を通したことを評価している。
ここから、兼好がいかに権威主義者であるかがわかる。しかし、物事の軽重を弁えろという教訓としても捉えることもできる。

コメント

  1. すいわ より:

    北面が「北面」として太政大臣に会ったのなら問題はなかった。勅書を持っている以上、北面は「勅書(上皇ではなく)」として振る舞わなければならない。馬から下りるべきではなかった。「任務」の隙を太政大臣は見逃さなかったのですね。その綻びは大事に繋がりかねないから。
    例えば大統領の護衛が目の前で幼女が大型犬に襲われるのを見てどうするのか、という感じですね。ここで幼女を助けに動いたら護衛としては失格でしょう。そうしたケースを想定して何がしかのアクションが取れるようにするのがトップマネジメントの仕事なんでしょうね。それでも起こってしまった場合、それを教訓として二度と起こさないシステムを作るのも。問題を起こした人を切るだけで解決するものではありませんね。

    • 山川 信一 より:

      兼好の考え方では、秩序や権威が重視され、人間性が損なわれる危険性もあります。あらゆるケースを想定して、規則を作っておくことは不可能です。臨機応変に対処することが重要です。
      この話の場合は、いずれにせよ秩序や権威の範囲でのことですから、これでいいのでしょう。

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